ベトナムに住んでいても毎日のように聞こえてくる豊洲市場の空洞問題や東京オリンピックの予算超過問題。いずれの問題も優秀な官僚たちが「自己の」責任を全うしようとするあまり、全体の成否に対して責任を持つ人なり組織が不在だということ、ルールのためのルール、木を見て森を見ずといったことが横行する社会で、蓋を開ければとんでもない結果に。しかも権力の中枢はお神輿に担がれた者ばかりで全くの無責任状態。大本営と同じ構造が跋扈しているのが現代の日本社会です。
個人的な想像ですが、リーダーが不在もしくは無責任という体制は天皇制に起源があるのではないかと思っています。総理大臣は国家権力の中枢ですが、形式的であれ天皇から拝命した任務です。中国やベトナムの権力闘争は相手を抹殺することで得られた権力であり、絶大な権力と責任が発生しますが、日本で東京オリンピックの予算が大幅に超過したからといって天皇陛下が責任を取るということは絶対にあり得ません。ちょうど玉ねぎの皮のように、責任の主体を求めて皮を剥けば剥くほど中心には何もないというのが日本の現状です。
ただしそれはそんなに悪いことでもなくて、日本は集団指導体制なのですから、どのようにして集団指導を効果的、効率的にやれば良いのかを制度として考えれば良いのだと思います。日本には共産党やアメリカ大統領のような絶大な権力を持ったリーダーシップは向きません。