私のマインドフルネス瞑想法

とうとうテト休みが始まりました。無計画なままこの日を迎えてしまい、来週2月6日まで9日間誰に会うわけでもどこかに行くわけでもないので、そのまま放置をしていると自堕落で退屈な日々になってしまいそうです。

先日、マインドフルネス瞑想の提唱者であるティク・ナット・ハンが入滅されました。またユヴァル・ノア・ハラリが21 Lessonsでマインドフル瞑想を実践しているということを知り、私のマインドフルネス瞑想法について再度記事にしました。

私のマインドフルネス瞑想歴

私がマインドフルネス瞑想を始めたのは5年ほど前になります。始めるきっかけは前述のティク・ナット・ハン禅師がGoogleでマインドフルネス瞑想に関するインストラクションをおこなったということを何かの記事で読んだのが初めで、そんなに良いものなら自分もやってみようと思ったことがきっかけです。
大体、1回につき15分間、朝のウォーキングを終えて自宅に戻ってから行うようにしています。瞑想を行うといってもただ目を閉じて15分間自分の呼吸に意識を向けるだけなので、ゆったり座れる椅子ひとつあれば十分です。私はマインドフルネスアプリを使っています。
最初の頃は気づいた日にやったりやらなかったりという頻度でしたが、ここ3年間近くは1日も休まずやっています。

精神集中のためではない

瞑想というと心を無にして集中力を高めるためにやると考えがちですが、最近私は瞑想は何か実利を求めて行う行為ではないと考えています。
私たちの意識はとてもおしゃべりで、そのまま放っておくと次から次へと脈略のない思考が湧き上がってきて、あたかもそれが本当の自分が考えていることなのだと勘違いしがちですが、私たちの心の動きの厄介な点は自分の意志に反してそのような思考が自動的に湧き上がってきてしまうことです。

思考の波を抑える

マインドフル瞑想はただ目を閉じて自分の呼吸に意識を集中し、湧き上がってくる思考を観察することです。湧き上がってくる意識を無理やり止めようとする必要はありませんが、その思考に執着して引きずられるのではなく、どういう考えが湧き上がってきたのかを確認したらそれを手放してまた呼吸に意識を合わせるだけです。
イメージとしては両手に抱えた浅いお盆に並々と水を注ぎ、水がこぼれないように集中をしている状態です。

自分が考えていることは、自分が考えていることではない

禅問答的ですが、自分の中で自動に湧き上がってくる思考や考えは、本来の自分が考えていることではありません。簡単な例で言えば、やらねばならない仕事やタスクがあるのにどうしてもやりたくなくてずるずると時間だけが過ぎていくということがあります。「やらなければならない」「やりたくない」の2つの思考と感情がアンビバレントに存在してどうしたら良いのかわからない状態になることがありますが、その両方とも本来の自分の考えではありません。
ここで私は「本来の自分」と言っていますが、「本来」の「自分」が存在するのかどうかさえ疑わしいと思っています。それは本論ではないので割愛しますが、このような両価的な状況に追い込まれた時、もっとも確実で疑いのないことは「自分が生きて呼吸をしている」という事実であり、いったんそこに注意を戻すことによってアンビバレントな状況は軽減されます。

マインドフルネス瞑想は意志的行為

このようにマインドフルネス行為は自発的・意志的な行為であり、自分でやろうと考えなければ長続きしません。やってみたけれど集中できずに止めてしまった、なんだか時間の無駄のように感じる、など言われる方が多いように思いますが、人の心は放っておくと悲観的、否定的に流れてしまいがちで、メリットのないことには関心を持ち続けることは困難です。だから一見意味のない「呼吸に集中する」という行為を続けるためには意志の力が必要です。

人間の最もシンプルな行為は「呼吸する」ことと「歩くこと」

私はここ数年自分の生活の中で最も大切にしていることは「呼吸する」ことと「歩くこと」の2つです。自分を幸せな状態に維持していくためにはさまざまな努力が必要となりますが、「呼吸」と「歩行」を意識的に行い集中を続けていくと、シンプルで自由で無限の広がりを持った幸せを感じることができるようになります。特に歩行は、どこかへの移動手段ではなく、ただシンプルに歩くことが大切です。足の裏や太ももの筋肉の動きなどを感じながらただ歩くことを1時間以上続けていると、歩くことそのものがレジャーとなります。

ただ何もしないでも幸せ

長い休暇が始まりました。もちろん家族で一堂に会食をしたり、友人や恋人とどこかに出かけたり、旅をして回ることは楽しいでしょう。残念ながらそんな相手はおらず、この長い休暇をひとりで過ごさなければならない人も多いでしょう。私もそんな一人です。
ただ、マインドフルネス瞑想を通じて感じられるのは、自分を楽しませるためにあれこれプランを立てたり実行したりする必要は必ずしも必要ではなく、ただぼーっと座っていても、目的もなく歩いていても深い幸せを感じることは十分可能です。マインドフルネス瞑想のメリットをひとつあげるとすれば、何もしなくても幸せを感じることができる能力が身につけることができるということです。何か実利的なメリットや享楽を求めて走り回るのではなく、静かに座って目を閉じることも大切な時間であるように思います。

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