February 21, 2015

ベトナム戦記:開高健

[vc_row][vc_column][vc_column_text][amazonjs asin=”402260607X” locale=”JP” title=”ベトナム戦記 (朝日文庫)”][/vc_column_text][ultimate_spacer height=”50″][vc_column_text] 銃音がとどろいた時、私の中の何かが粉砕された。 本書は1964年末から65年初頭にかけて、開高健がサイゴンから「週刊朝日」に毎週送稿したルポルタージュを、帰国した開高自身が大急ぎでまとめて緊急出版したものである。[/vc_column_text][/vc_column][/vc_row][vc_row][vc_column width=”1/1″][ultimate_spacer height=”20″][dt_quote type=”blockquote” font_size=”big” background=”plain”]銃音がとどろいた時、私の中の何かが粉砕された。膝が震え、暑い汗が全身を浸し、むかむかと吐き気がこみ上げた。たっていられなかったので、よろよろと歩いて足をたしかめた。 (中略) 彼は《英雄》にもなれば《殺人鬼》にもなる。それが《戦争》だ。しかし、この広場には、何かしら《絶対の悪》と呼んでよいものがひしめいていた。 [/dt_quote][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text]開高はベトコン少年の公開銃殺に立ち会った。20歳の私立高校生で地雷1kgと手榴弾を運搬中に逮捕されたものである。公開処刑が行われたのはベトナム鉄道公社のビル前、ベンタイン市場の左前あたりであった。[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][dt_quote type=”blockquote” font_size=”big” background=”plain”]サイゴンを陰謀と血だけの都だといいきってしまうのは誤りである。大半の市民は優しく、おだやかに、貧しく、いそがしくはたらいて暮らしている。[/dt_quote][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text]当時すでに開高は小説家として有名であったが、混沌としたベトナムとサイゴンの状況を週刊朝日の記者=ジャーナリストとして日本に伝えた。また作家としてベトナム庶民の中に深く分け入り、愛情を持ってベトナム人と接していた。[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][dt_quote type=”blockquote” font_size=”big” background=”plain”]「・・・・・ところで」 私が少尉に聞いた。 「グェン・フゥ・トゥは一般民衆の中で評判はいいのですか?」 「グェン・フゥ・トゥ?グェン・フゥ・トゥって、誰です?」 「ベトナムのナンバーワン指導者ですよ。議長です」 「はじめて聞きました。どういうつづりですか?」 「N…g…u…y…e…」 「N…g…u…y…e」 「民族解放戦線の評議会の議長です」 「民族解放戦線?民族解放戦線って何のことです?」 「ベトコンのことです。彼らは自分のことをそう呼んでいます」 「へへえ。それは知らなかったです。民族解放戦線、民族解放戦線・・・・・」 少尉は口の中でひくく、”ナショナル・リベレイション・フロント”、”ナショナル・リベレイション・フロント”とつぶやいた。それはたしかに、はじめてものを知った時に人がする口調であると思われた。トボけているとは思えなかった。 熱心な中学生みたいなチュウ少尉の小さくて黒い、すこしかしげた頭の影を眺めながら私は声が出せないくらい驚いていた。文盲の一兵卒ならいざ知らず、この少尉は砦ではいつも砂袋を積んだ作戦室で地図を相手に仕事をしているのである。隊のなかでは機敏で沈着な、反射の速い、なかなかたのもしい青年将校なのである。それが何年となく毎日毎日たたかいつづけている相手の指導者の名も知らず、つづりも知らず、正しい名称も知らないというのである。秋元キャパと私は思わず暗がりで顔を見合わせた。彼も低く唸ったきり声がでなくなっていた。 この戦争は政府側の負けだ。 ハッキリ、そうきまった。 寝たほうがよさそうだ!・・・・・[/dt_quote][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text]開高がこのルポを伝えたのは1964年末から1965年にかけてのことで、サイゴン陥落まで10年以上も前のことである。 しかし開高はすでにこの時点で南側の負けを予感していた。慧眼と言わざるを得ない。[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”50″][vc_gmaps link=”#E-8_JTNDaWZyYW1lJTIwc3JjJTNEJTIyaHR0cHMlM0ElMkYlMkZ3d3cuZ29vZ2xlLmNvbSUyRm1hcHMlMkZkJTJGZW1iZWQlM0ZtaWQlM0R6WXRHaU9JcWNmWlEua0V4UzZ3VndFaWpZJTIyJTIwd2lkdGglM0QlMjI2NDAlMjIlMjBoZWlnaHQlM0QlMjI0ODAlMjIlM0UlM0MlMkZpZnJhbWUlM0U=”][ultimate_spacer height=”50″][/vc_column][/vc_row][vc_row][vc_column width=”1/1″][vc_column_text] 映像 [/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text]開高健が見た世界 泥沼ベトナムから[dt_gap height=”20″ /][/vc_column_text][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=BnOfVT5975M”][ultimate_spacer height=”20″][vc_row_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_column_text]Vietnam War: 502nd Battalion 101st Airborne Division at Ben Cat on Dec 9, 1965 US Army[dt_gap height=”20″ /][/vc_column_text][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=mXAW0Mq4M7s”][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text]1965年開高がBen Catを訪問した同じ年、12月のBen Cat Airborneの映像[/vc_column_text][/vc_column_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_column_text] Vietnam War Documentary HD: Setting on Fire Vietnam Buddhist Monk ? [dt_gap height=”20″ /][/vc_column_text][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=LclBfYmyDMw”][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text]ゴ・ディン・ジェム政権と仏教徒の敵対がなぜ起こったのか?詳細に報じたドキュメンタリーである。[/vc_column_text][/vc_column_inner][/vc_row_inner][ultimate_spacer height=”50″][/vc_column][/vc_row][vc_row][vc_column width=”1/1″][vc_column_text] 参考リンク 開高健記念館:開高健とベトナム 年表と地図 [/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_basic_grid post_type=”post” max_items=”10″ style=”all” items_per_page=”10″ show_filter=”” element_width=”4″ gap=”30″ orderby=”date” order=”DESC”

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1970年代初頭、サイゴンはウッドストックだった。CBC Bandの軌跡。

[vc_row][vc_column][vc_column_text] CBC Bandは1960年台半ばから1975年まで、サイゴンで活躍したロックバンド。貧しい家庭に生まれた兄妹によるファミリーバンドであったが、米軍人や若者を相手にアメリカンロックを演奏して金を稼いでいた。[/vc_column_text][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=jk4r3Vj8p_k” title=”Tinh Yêu Tuyệt Vời (The Greatest Love)”][vc_column_text] メンバーはリードボーカルのNam Loc、ギターのTung Ling、ギターのTung Vanの3名。 1971年4月8日、バンドの名を冠したCBC BARでプラスティック爆弾が爆発し、米兵1名と14歳の女性が爆殺された。この時、バンドはツアーで不在だったため難を逃れた。 1974年、インドへのツアーの中にオーストラリアへの亡命を申請するが却下。そのままインドチベット僧の保護のもとインドに滞在した。1975年サイゴン陥落後、アメリカ大使館に再度亡命申請を行い、承認された。渡米後はテキサス州ヒューストンに居を構えた。 2011年4月8日、再結成コンサートがヒューストンで行われた。[/vc_column_text][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=reAPjyVxLFQ#t=20″ title=”Con Tim Và Nước Mắt (Heart And Tears)”][vc_column_text]リードボーカルのBich Loanをフィーチャーしたロック。今でも色あせない音楽性があると思います。[/vc_column_text][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=FuT-MCo_qKY” title=”CBC Band: Live at the Saigon Zoo”][vc_column_text]1971年5月29日にサイゴン動物園で開催されたロックコンサートの模様。まるでウッドストックのようです。[/vc_column_text][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=E_dgtEHKvxI” title=”CBC Band: Band on the run”][vc_column_text]1974年CBC Bandはベトナムを離れ、タイ、バリ、マレーシアと渡り歩き、ついにインドのボンベイに到達した。この地でサイゴン陥落を迎える。1975年ニューデリーのアメリカ大使館に亡命を申請。認められ、アメリカに亡命した。映像は1975年7月15日に録画された亡命前の模様。このCBCニュースのレポートが亡命が認められるきっかけになった。[/vc_column_text][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=u7jIOcxRDgM” title=”CBC Band & Vietnam Vets Reunion”][vc_column_text]2011年ヒューストンで再結成コンサートが行われ、当時のメンバーや米兵が集結した。[/vc_column_text][vc_single_image image=”363″ img_size=”800×564″][vc_single_image image=”374″ img_size=”800×564″][vc_column_text]1971年4月8日、CBC Club (My Phuong Club)はテロリストによるプラスティック爆弾により破壊された。この時、バンドは出演しておらず難を逃れたが、米兵1名と14歳の少女が死亡した。クラブは現在のPhan Van Dat通りにあったようである。[/vc_column_text][vc_column_text] [map lat=”10.775345″ lng=”106.704997″]CBC Club(推定)[/map] [/vc_column_text][vc_column_text] 参考リンク CBC Band Facebook page [/vc_column_text][/vc_column][/vc_row][vc_row][vc_column][vc_masonry_grid post_type=”post” max_items=”10″ show_filter=”yes” filter_source=”category” arrows_design=”none” arrows_position=”inside” arrows_color=”blue” paging_design=”radio_dots” paging_color=”grey” loop=”” autoplay=”-1″ taxonomies=”4″ grid_id=”vc_gid:1475905750574-3df4c6e9-5bf9-7″][/vc_column][/vc_row]

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