2016年8月20日に以下の記事を作成しましたがFacebookグループの指摘により、取材した場所が誤っていることが明らかになりました。改めて正しい場所を特定し、8月28日に再取材をしております。 正しい場所での再取材結果はこちら 少し前にFacebookで新旧サイゴンを紹介するグループSaigon Cho Lon Then & Nowで話題になっていた「サイゴンでの処刑」の撮影場所を訪ねてきました。この写真が撮影された場所は長く不明のままだったようですが、当時の米兵らの証言により現在のLý Thái Tổ通りであることは確かのようです。 写真が撮影された時代背景 この衝撃的な写真が撮影された1968年2月1日はテト攻勢の最中であり、1月30日未明に蜂起した北ベトナム軍と南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)は南ベトナム各地の政府施設・インフラ・米国施設・軍事拠点等に対して一斉攻撃を開始。サイゴンでは一時アメリカ大使館が解放戦線側に占拠され、南ベトナム大統領官邸も襲撃されました。 最終的には米軍と南ベトナム軍の反撃により各拠点は奪還されたものの、南北双方に大きな損害を与えることになりました。 2月1日テト攻勢の最中、解放戦線側の兵士グエン・ヴァン・レムは警察に捕えられ、連行される途中に警察総監グエン・ゴク・ロアンにより路上で射殺されます。 その模様はNBCにより映像配信され、同時に現場に居合わせたAP通信社のエディ・アダムスにより撮影されたのがこの有名な写真です。 テト攻勢の状況は世界中のメディアによって報道され、この事件がきっかけとなって米国内で反戦運動が盛り上がる機運となりました。リンドン・ジョンソン大統領は次期大統領選挙への出馬を取り止めることとなり、以後、米国はベトナムからの撤退を模索し始めます。 グエン・ゴク・ロアンとエディ・アダムズ グエン・ゴク・ロアンは1930年フエの生まれ。フランスの大学を3つ卒業したインテリであり、ベトナム共和国陸軍の少将として、当時は警察総監を務めていました。...
Archive for category: ベトナム近現代史
サイゴン市内のバス交通の中心にあったベンタンバスターミナルがもうすぐ移転する予定です。これが見納めになる可能性があるので撮影をしてきました。 バスターミナルの裏、クレーンが建っている場所はBitexcoが建設中の55階建てツインタワーで、リッツカールトンが開業予定です。 写真は1960年代のベンタン市場前。左側にバスターミナルと星マークはテキサコのガソリンスタンドが見えます。左奥にはまだサイゴン駅が残っており、右側には鉄道省のビル(現存)もあります。 テキサコマークのガソリンスタンドはPETRO LIMEXのスタンドとして残っていますが、開発後もここはガソリンスタンドになるのでしょうか。 今でも公共交通機関としてはバスが便利なのですが、この風景もいずれ見られなくなります。
今日たまたま本屋に立ち寄って見つけたベトナム語の写真集です。総ページ数500ページを超える本で過去150年間にわたるサイゴンの変遷を綴ったものです。中をめくってみるとワクワクするような写真ばかり。550,000VNDとかなり値が張りましたが即購入しました。Amazonのないベトナムでは本は出会った時に買わないと、次にいつ買えるかわかりません。 グエンフエ通りが運河だった頃の写真。ちょうど右上が現在のSanwah Towerのあたりです。 サイゴン川で荷揚げされる飛行機。グレアム・グリーンの「おとなしいアメリカ人」ではマジェスティックホテルでカクテルを飲みながら飛行機が荷揚げされるのを見ていたという記述がありましたが、これで納得です。 1900年のCafe de la Musique。現在のビンコムBが建っている角です。右端にコンチネンタルホテルが少し見えています。 1960年代のベンタン市場前。レロイ通りには歩道橋がありその先は鉄道駅でした。現在は9月23日公園となっています。 植民地歩兵兵舎の正門前。現在のディン・ティン・ホアン通りから北方向に向かって撮ったものです。両脇の建物は人文社会大学の一部として現在も残っていますが、当時は道路はここで行き止まりで迂回していました。 エッフェルが設計したモン橋。現在は両脇が階段になっていて歩行者しか渡ることができませんが、当時は普通に車道となっていたことがわかります。対岸の洋風建築は現在のベトナム国家銀行でほぼ原型をとどめています。 – 全文ベトナム語なので苦労しますが、少しずつ辞書を片手に読んでみたいと思います。
ベトナムの市街路名は革命家や歴史的イベントにより命名されたものが多く、様々な都市で同名の道路名が存在しています。またフランス統治時代、ベトナム戦争時代、南北統一以降でも通りの名前が変化しています。そのため旧サイゴンを舞台にした小説やルポで書かれた道路名は現在のものと異なった名称となっています。 以下に1955年(フランス統治時代)、1963年(ベトナム戦争時代)、現在(南北統一以降)の道路目の対比表を掲載します。 本記事は以前ベトナム近現代史ブログに掲載したものを再掲載したものです 現在名(1975) 現在の日本語名 South Vietnam(1963) French Colonial(1955) Ly Tu Trong リィトゥチョン Gia Long Rue de la Grandiere...
ところでサイゴンってどこだ?古地図で探すサイゴン。
|ベトナム近現代史, グエン・フエ, サイゴン, サンワタワー, タンソンニャット, チョロン, トゥーヨー通り, ドンコイ通り, ハムギー, ベンタン市場, ホーチミン市, 古地図かなり前の話ですが、タンソンニャット国際空港からタクシーに乗った際、年配のドライバーが「サイゴンへ行くのか?」と聞いてきました。ええ、サイゴンまでと応えたのですが、タンソンニャットはどう考えてもホーチミン市内です。世界でも珍しいくらい都心部に立地する空港なのですが、この年配のドライバーにとってはタンソンニャットはサイゴンではないという意識のようでした。 このブログでは意識的にサイゴンという言葉を使っていますが漢字で書くと西貢、「ミス・サイゴン」「サイゴンビール」「ホテル・ニッコー・サイゴン」と様々な場所や物にサイゴンの名前は残っています。 現在のホーチミン市をGoogle Mapで検索すると、クチからカンザーまで広大な範囲がホーチミン市であることが分かります。もちろんこの名前はホー・チ・ミン師の名前から採ったもので、かつてはTo Do通り(トゥーヨー通り=自由通り)と呼ばれた通りが現在ではDong Khoi(ドンコイ通り=同起通り)と呼ばれているようなものです。ちなみにベトナム全国の道路名は革命に関連した人物名が通り名になっていて、どの街にも同じ名前の通りがあるので、Google Mapで検索するととんでもない場所が検索されたりします。解放後の名称はどうも堅苦しいものが多いので意識的にサイゴンと読んでいるのです。 また戦前からここに住んでいる南部の人々は親しみをこめてサイゴン、その他一般的にはホーチミンまたはホーチミン市と呼ばれるようです。 さてそのサイゴンですが、ドライバーの意識ではどこからがサイゴンだったのでしょうか?古い地図を探してみて現在の地図と比較してみました。 こちらの地図は1800年代半ばのサイゴンです。かなり不正確な地図のようで、サイゴン川がドンナイ川になっていますし、あきらかに独立宮周辺のサイズが大きすぎます。当時は現在のグエン・フエ通りは運河で、サンワ・タワーの敷地は教会でした。 こちらは時代が下って19世紀末から20世紀初頭のものと思われます。グエンフエ通りやハムギー通りも見えますが、ベンタン市場はまだ描かれていません。その割には北部方面、現在のダカオからタンディン地区にかけてまばらですが家屋の書き込みがあります。また現在のトンドゥクタン通りは社会人文大学のところで途切れていて政府系の敷地だったことが分かります。 さらに時代が下ってこれは1950年代、カラベルホテルが観光客用に配っていた地図だと思います。4区の一部が描かれています。北はほぼ現在のリー・チン・タン通りまでがサイゴンで、東はKênh Nhiêu Lộc 運河まで、南はサイゴン川までです。 西は現在のグェンバンクー通りまであたりがサイゴンの範囲だったようです。 この地図で面白いのはベンタン市場から北と西に向かって鉄道が伸びているのがわかることです。北方向へは現在の南北統一鉄道と同じ路線ですが、西方向はチョロンへ向かっています。当時の認識としてはサイゴンとチョロンは別の街だったようです。また南方向に向かって伸びる鉄道はメコンデルタに向かう鉄道でした。 総じて現在の1区と3区がサイゴンと呼ばれる街であったようです。