ダカオ橋

グレアム・グリーンのおとなしいアメリカ人

[vc_row][vc_column][vc_single_image image=”14633″ img_size=”full”][vc_column_text] 1950年代初頭のベトナム グレアム・グリーンは1950年から1955年にわたってベトナムを訪問し、その滞在期間はのべ2年間にわたった。ライフやサンデー・タイムズに記者として送稿するいっぽう、サイゴン(現在のホーチミン市)のコンチネンタルホテルを拠点に執筆活動を行い、1955年に発表したのが本書「おとなしいアメリカ人」である。序文にも書かれている通り本書はフィクションであるが、登場人物や場所、小説の背景となる政治状況は実在する人物や場所をモチーフにしたことが伺える。 本書は1951年9月から1952年2月のパイルの死、その後の2週間にわたる物語である。 1950年代前半のベトナムは、日本の仏印進駐によりいったんは退却をしたフランスが、ふたたび植民地での権益拡大を目論んでベトナム全土に手を広げようとしていた時代であった。しかしホーチミン率いるベトミンは中国共産党の後方支援のもとゲリラ戦を展開し、徐々にフランス軍を追い詰めつつあった。 1952年といえばディエン・ビエン・フーの戦いに先立つこと3年、依然ベトナムはフランス統治下であったが、フランスの戦争であった第一次インドシナ戦争は実質的にはアメリカの莫大な軍事支援に支えられた戦争であった。民族独立を掲げるホーチミン率いるベトミン、植民地政策を維持しようとするフランス、アジアの共産化を食い止めようとするアメリカ、大国の力を背景に権益を獲得しようとする第三勢力、軍事化を進めるカオダイ教団やホアハオ団など新興宗教・・・・・様々な政治パワーが三つ巴となってベトナムは混沌たる状態であった。 グリーンは第三の男 (1950年)や情事の終り (1951年)などですでに世界的な名声を得ていたが、5年間に渡るベトナム訪問と滞在を経て戦争の世紀であった20世紀中盤の状況を鮮やかに描いてみせた。 文学作品たらしめる対立軸の提示 「おとなしいアメリカ人」は政治小説でありスパイ小説である。本書の冒頭で暗殺をされるおとなしいアメリカ人「パイル」のモデルはCIAのランスデール大佐であったとされている。また本書を書いたことによりグリーンは米国への入国を拒否されており、当時は政治的なメッセージ色が強いと受け止められたようである。(参考:毎日新聞1956年7月12日) 実際、ファトディエムでの戦闘シーン、カオダイ教会から帰宅中に襲われたタイニンの要塞シーン、サイゴン・ラムソンスクエアでの爆破シーンなどスペクタクルシーンが随所に見られるが、これら物語の進行が本書の縦軸であるとすると、横軸を構成するのは登場人物が綾なす様々な対立軸の提示である。 主人公のファウラーは初老に差し掛かったイギリス人ジャーナリスト、副主人公のパイルは若いアメリカ人の経済顧問団員(実際はCIA要員)である。経済・政治的に没落しつつあるイギリスと第二次大戦後の好景気に隆盛するアメリカの対立、無邪気に自由主義・デモクラシーを標榜するアメリカに対するグリーンの懐疑と皮肉を見て取ることができる。 ヨーロッパ対アメリカの対抗軸以外にも、西洋と東洋、老と若、男と女、共産主義と自由主義、宗教対立など、登場人物ひとりひとりが背景に抱える対立軸を提示することによって、本書は単なるスパイ小説を超えて文学作品として価値あるものとなっている。 パイルの死に暗示されるもの (ネタバレ注意) パイル=若いアメリカ経済顧問団員に対するファウラーの態度は友愛、皮肉、疑念、嫉妬である。実際、パイルをベトミンの手に渡し暗殺したのはファウラー自身であった。 無邪気に自由主義を信じて爆弾テロに手を染めていくパイル。その大義名分の裏にあるアメリカという国家の胡散臭さを暴き出すことによって、グリーンはフランスからベトナムでの実権を奪い取ろうとするアメリカ政府の黒い意図を暴いてみせた。 フランスは小説に描かれている時期の3年後ディエン・ビエン・フーの戦いで大敗を喫し、フランスによるインドシナ植民統治は終わりを告げる。しかしフランスの敗退はベトナムとホーチミンにとっては民族独立の勝利ではなく、アメリカという新しいオーナーが乗り込んできたのに過ぎなかった。ジュネーブ協定によりベトナムは17度線で南北に分断され、アメリカはベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)という泥沼に引き込まれていく。アメリカが完全にベトナムから手を引くまでに、さらに20年以上も戦争にかかわらなければならなかったのである。 グリーンは作家としてアメリカが暗裏に抱く意図を鋭く見破り、アメリカによるベトナム戦争統治と敗退を予言してみせた。 この状況は現在も中東で進行中の状況と全く同じである。戦争には常に勝者も敗者もいない。あるのは傷ついた人民と死のみである。このことをグリーンは言いたかったのではないか。その意味で本書はすぐれた反戦小説であるといえよう。 おとなしいアメリカ人のサイゴンを歩く 本書の序文にも書かれている通り、おとなしいアメリカ人はフィクションであり事実に基づく小説ではない。登場人物もグリーンの創造物である。しかし作中に登場する場所や政治的な背景は事実を反映しており、現在のホーチミン市に残っている場所も多い。 まず最初に訪問したのは1区とビンタン区を結ぶダカオ橋である。この橋はディエン・ビエン・フー通りとディン・ティン・ホアン通りの中間にあるため交通量も両道路に比べれば少ないが、今でも住民には欠かせない生活用道路である。ホーチミン市のマクドナルド1号店を目印にスタートし、裏手を川沿いに歩いて約5分のところにある。以前はこの運河はゴミと悪臭のただよう場所であったが、今では護岸整備されて美しい遊歩道となっている。[/vc_column_text][vc_row_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_single_image image=”568″ img_size=”400×265″ onclick=”custom_link” img_link_target=”_blank” link=”http://www.picturesfromhistory.com/gallery/CPA0014001-0014500/image/140/Vietnam_Cu_St_Da_Kao_Graham_Greenes_Dakow_Bridge_in_Saigon_now_Ho_Chi_Minh_City_1948″][/vc_column_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_single_image image=”564″ img_size=”400×265″ img_link_large=”yes”][/vc_column_inner][/vc_row_inner][vc_row_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_column_text]1948年当時のCầu Sắt Đa Kao(ダカオ鉄橋)。この橋を境にベトミンの支配する危険地区であった。パイルはここで暗殺された。[/vc_column_text][/vc_column_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_column_text]現在、鉄橋はコンクリート橋に架け替えられている。運河は整備が進み、ホーチミン市民の憩いの場所になっている。[/vc_column_text][/vc_column_inner][/vc_row_inner][vc_column_text]小説ではダカオは昼間は政府軍の配下にあるが、夜間になるとゲートが閉まりベトミンの勢力下に落ちる危険地帯であった。今ではダカオ地区は大使館が軒をつらね、日本人も多く住む高級住宅街である。 ダカオ橋からはタクシーに乗っていっきに中心部に戻ろう。 グレアム・グリーンはコンチネンタルホテルに滞在中は毎日ホテルからカティナ通り(現在のドンコイ通り)をサイゴン大聖堂まで散歩するのが日課であった。 小説の中でグリーンは大聖堂を「悪趣味なピンク色の大聖堂が道をふさいでいるところまで・・・」と表現している。[/vc_column_text][vc_row_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_single_image image=”588″ img_size=”169 × 265″ alignment=”center” onclick=”custom_link” img_link_target=”_blank” link=”http://www.chairborneranger.com/oldsaigon/oldsaigon13.htm”][/vc_column_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_single_image image=”586″ img_size=”400×265″ img_link_large=”yes”][/vc_column_inner][/vc_row_inner][vc_row_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_column_text]1950年代と思われるサイゴン大聖堂。当時も今もその姿は余り変化はない。米軍統治時代はこの広場はJ.F.ケネディ広場と呼ばれた。[/vc_column_text][/vc_column_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_column_text]ホーチミン市の定番観光スポットである現在のサイゴン大聖堂。連日多くの観光客やウェディング写真を撮影するカップルで賑わっている。[/vc_column_text][/vc_column_inner][/vc_row_inner][vc_column_text]サイゴン大聖堂を背にしてドンコイ通りを下り、すぐ左側、ドンコイ164番地にあるのがフランス統治下の警察・安全統治総局である。暗殺されたパイルはここに運ばれ、地下室の死体安置室でファウラーが本人確認を行った。ブランス人捜査官ヴィゴーの職場であり、フランス統治下では地下室に政治犯が収容され拷問されたという。[/vc_column_text][vc_row_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_single_image image=”606″ img_size=”400 × 265″ alignment=”center” onclick=”custom_link” img_link_target=”_blank” link=”http://www.chairborneranger.com/oldsaigon/oldsaigon13.htm”][/vc_column_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_single_image image=”607″ img_size=”400×265″ img_link_large=”yes”][/vc_column_inner][/vc_row_inner][vc_row_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_column_text]1958年の映画「静かなアメリカ人」でフランス人捜査官ビゴの尋問をうけるファウラー。[/vc_column_text][/vc_column_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_column_text]ドンコイ通りのスタート地点に建つ旧警察・安全総局。現在は文化・スポーツ・観光省の庁舎として使用されている。[/vc_column_text][/vc_column_inner][/vc_row_inner][vc_column_text]さらにドンコイ通りを下り、ドンコイ通り213番地にはファウラーがフォンと別れた後、ゴム・プランテーションのオーナーから借りたアパートがあった。現在は残念ながら取り壊されて空き地となっている。 そのワン・ブロック下がラムソンスクエアである。 ホーチミン市で観光客に最も有名な場所であり、コンチネンタルホテル、市民劇場、カラベルホテルが広場を囲むように建っている。 この場所は作中でもクライマックスとして使われており、パイルらアメリカ政府の支援を受けたテ将軍の一味がプラスチック爆弾を爆発させる場所である。[/vc_column_text][vc_row_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_single_image image=”612″ img_size=”400 × 265″ alignment=”center” onclick=”custom_link” img_link_target=”_blank” link=”http://www.chairborneranger.com/oldsaigon/oldsaigon13.htm”][/vc_column_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_single_image image=”613″ img_size=”400×265″ img_link_large=”yes”][/vc_column_inner][/vc_row_inner][vc_row_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_column_text]100年程度前に撮影されたと思われるラムソンスクエアに建つオペラハウス(市民劇場)の絵葉書。[/vc_column_text][/vc_column_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_column_text]現在のラムソンスクエア。映画「愛の落日」ではデジタル合成で爆弾テロシーンが撮影された。[/vc_column_text][/vc_column_inner][/vc_row_inner][vc_row_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_single_image image=”616″ img_size=”400 × 265″ alignment=”center”][vc_column_text]グリーンが実際に滞在し、本書を執筆したコンチネンタルホテル。作中でも重要な舞台として使われている。[/vc_column_text][/vc_column_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_single_image image=”617″ img_size=”400×265″ img_link_large=”yes”][vc_column_text]現在のコンチネンタルホテル。ベトナム最古のホテルでもあるため大切に保存されている。広場に面した214号室がグリーンの滞在した部屋である。[/vc_column_text][/vc_column_inner][/vc_row_inner][vc_row_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_single_image image=”619″ img_size=”400 × 265″ alignment=”center”][vc_column_text]2010年解体工事中のジブラルカフェ。エデンモールの1階にあった。フォンが毎日立ち寄るミルクバーのモデルとなった。[/vc_column_text][/vc_column_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_single_image image=”621″ img_size=”400×265″ img_link_large=”yes”][vc_column_text]現在はユニオンスクエアという名前でブランドショップが立ち並ぶショッピングセンターになっている。[/vc_column_text][/vc_column_inner][/vc_row_inner][vc_column_text]ドンコイ通りをさらに下ろう。現在のマック・ティ・ブイ通りを右に曲がったところに「オルメイ街のちょっと良いところ(A

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