ベトナム近現代史

ダラットのマダム・ヌーの別荘を訪ねて

昨年4月、ダラットに出張で出かけた際に時間を見つけてマダム・ヌーの別荘を訪ねてきました。長らく写真を撮っただけで放置していたのですが、撮影した写真とともに記事を掲載します。 マダム・ヌーとは Wikipediaによると「マダム・ゴ・ディン・ヌー(Madame Ngo Dinh Nhu、1924年4月15日 – 2011年4月24日)は、南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領の実弟である大統領顧問ゴ・ディン・ヌーの妻。本名はチャン・レ・スアン(Trần Lệ Xuân、陳麗春)」とあります。 1960年代初頭、アメリカは北ベトナムに対抗するために南ベトナム政府樹立に暗躍しました。初代大統領に選ばれたのがゴ・ディン・ジエム(Ngô Ðình Diệm)でその実弟ゴ・ディン・ヌー(Ngô Ðình Nhu)の妻がマダム・ヌーでした。大統領のジエムが生涯独身であったため、マダム・ヌーが実質的にファーストレディーを務めたのです。 アメリカの力を背景に大統領になったゴ・ディン・ジエムですが、次第にケネディ政権に対して反抗的な政権運営を行うようになってきました。当時、政権に弾圧されていた仏教徒が焼身自殺をした際、マダム・ヌーは「アメリカから輸入したガソリンで焼身自殺するなんて矛盾しているわ。単なるバーベキューよ」と発言したことがアメリカの逆鱗に触れたのです。 1963年ゴ・ディン・ジエムとゴ・ディン・ヌーはクーデターのため殺害されます。クーデーターを指揮したのはゴ・ディン・ジエムを嫌ったCIAによるものだと言われています。当時、海外に滞在していたマダム・ヌーはそのまま国外追放となり、2011年イタリア・ローマの病院で死去しました。 ダラットのマダム・ヌーの別荘 マダム・ヌーの父親は弁護士でアメリカ大使を務めた人物です。この別荘はもともと父親が居住用に建てたものを建増ししていったもので、合計3つの別荘が敷地内にあります。広大な敷地に当時としては豪華な設備だったのですが、現ベトナム政府にとって好ましからざる人物の遺構ですから長年放置されて荒れ放題になっていました。最近になって修復が進み、一般にも公開されるようになったのですが、ここを訪れる人は稀なようで、日本人が来たというとわざわざ学芸員の方が出てきて邸内を案内してくれました。 別荘の入り口から撮影。丘を利用して別荘が建てられています。 Jade Palace(水晶宮)と名付けられた別荘のエントランス マダム・ヌーとその家族の写真が掲げられています。当時のタイムやニューズウィークの表紙を飾る程、マダム・ヌーとその娘はセレブとして世界中の注目の的でした。 面白いものを見つけました。当時北ベトナム政府内務省に勤務していたボー・グェン・ザップ(後の北ベトナム軍大将)がマダム・ヌーの夫ゴ・ディン・ヌーに対して国立図書館の勤務を任命した証書です。両者ともベトナム近現代史では歴史的な人物ですがこんなところに接点があったとは感慨深いです。 中庭から別荘を望む。 キタザワ産業海運という当時サイゴンにあった会社が、マダム・ヌーの別荘に日本庭園を建築する際に提出した見積書。 当時造園された日本庭園。手入れが行き届いていないので荒れていますが、学芸員によると以前はもっとひどかったそうです。 別荘の中から旧ダラット空港まで続いていると言われる地下通路の入り口。学芸員によると実際にトンネルに入って調べたそうですが、今は途中でふさがっていて、本当に空港までトンネルが続いていたかどうかはわからないとのことでした。 図書室。現在はミュージアムショップになっています。 当時としては大変珍しかった温水プール。ちょうど水を抜いて掃除中でした。標高の高いダラットなのでプールは温水にしたそうですが、ここに当時は各国の大使を招いて接待をしたそうです。 つわものどもの夢の跡 マダム・ヌーは生涯ベトナムに帰国したいと望んでいたそうですが、ベトナム政府はこれを認めませんでした。栄華を誇った別荘も今は寂れて、ベトナム人の記憶からも薄れていっています。5年前に異国の地でひとり亡くなっていった本人の気持ちはどのようなものだったのでしょうか。ゴ・ディン・ジエム大統領は日本政府ともつながりが強く、当時の日本政府もジエム政権を支持していました。根っからの民族主義者・反共主義者であり、もしベトナム戦争が北ベトナムの勝利に終わっていなかったら、現在のホー・チ・ミンのような立場にあったのかもしれません。今となっては当時の面影しか残っておらず、歴史の流れに忘れ去られようとしています。

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ベトナム近現代史カテゴリーに旧ブログを移転しました!

以前作成をして放置状態にあったベトナム近現代史サイトを更新停止し、このブログのベトナム近現代史カテゴリーに記事を移転しました。前のブログのショートコードが使えないため一部レイアウトが崩れている部分があるので時間があるときに修正をします。 ベトナム戦争時代、サイゴンは多くのジャーナリストが駐在していたため、60年代から75年にかけて数多くの映像や写真、書物が残っています。急速に都市化が進んでいるものの、気をつけてみればサイゴン市内には当時の建物がまだ残っています。サイゴン在住の歴史家Tim DolingさんがFacebook上で運営しているSaïgon Chợ Lớn Then & Nowには当時の写真と現在の写真を同時掲載したFacebookグループがあってとても興味深いものになっています。 このカテゴリーでも歩いて訪問した歴史的なサイゴンを紹介していきたいと思います。

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Saigoneerに掲載された1960年代のニャチャンの写真がクール![Photos] 1960s Nha Trang Was the Essence of Cool – Saigoneer

情報源: [Photos] 1960s Nha Trang Was the Essence of Cool – Saigoneer 1960年代のニャチャンといえばベトナム戦争の真っ只中で、もろに米軍とアメリカ人の影響下にあった時代です。   4、5年前の写真だと言われてもわからないほど当時はモダンだったことがわかります。(サイゴンも同じですが・・・) 詳細はSaigoneerへ

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グレアム・グリーンのおとなしいアメリカ人

ベトナム グレアム・グリーンは1950年から1955年にわたってベトナムを訪問し、その滞在期間はのべ2年間にわたった。ライフやサンデー・タイムズに記者として送稿するいっぽう、サイゴン(現在のホーチミン市)のコンチネンタルホテルを拠点に執筆活動を行い、1955年に発表したのが本書「おとなしいアメリカ人」である。

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エデンモールとジブラルカフェ(現ユニオンスクエア)

[vc_row][vc_column width=”1/1″][vc_masonry_media_grid style=”all” items_per_page=”10″ element_width=”4″ gap=”5″ filter_size=”md” button_style=”rounded” button_color=”blue” button_size=”md” arrows_design=”none” arrows_position=”inside” arrows_color=”blue” paging_design=”radio_dots” paging_color=”grey” loop=”” autoplay=”-1″ item=”masonryMedia_Default” include=”463,459,457,453,454,455,458,460,461,452″][ultimate_spacer height=”50″][vc_column_text] エデンモールの思い出 ドンコイ通りとレロイ通りの交差点、オペラハウスとコンチネンタルホテルの前にエデンという建物が2010年まで建っていた。ホーチミン市の繁華街、日本でいえば銀座四丁目交差点のような場所に建つこのビルには、ショピングセンターや映画館等が入ったショッピングモールとアパートからなる複合ビルであった。 エデンは個人的に思い入れの深い建物で、実は1年あまりこのビルに住んでいたのである。アパート層の6階、壊れた観音開き式のエレベーターが修理もされずに放置され、毎日なんども息を切らせながら自宅アパートに昇ったものである。入り口階段は1階の仕立屋の奥にあったため、来客に行き順を説明するのも大変であった。 場所がら便利な場所だと思われがちだったが、正直、日常生活を送るには不便な場所であった。来客があってもバイクを止める場所もなく、コンチネンタルホテルで食事をするわけにもいかないため朝夕の食事も苦労した。 それでも古いフランス風の建物は天井が高く、広々としたフラットにはシーリングファンがあり、作り付けの家具もヨーロッパ風であった。跳ね上げ式のフランス窓を開けると、いまにも崩壊しそうなパティオがあり、道路に面していない分、意外に静かであった。目前には人民委員会の建物が美しく佇んでいた。 当時の家賃は500ドル。部屋の内容に比べると決して安くはなかったが、ここに住んでいるだけで特別な気分になれたものである。 この土地はデベロッパーのヴィンコムに売却され、我々も立ち退き反対運動の渦中に巻き込まれた。各階にベトナム国旗がはためき、住民が1階路上で静かに反対運動を行っていたのが懐かしい。当然、無駄な抵抗に終わってほどなくエデンは取り壊され、今の建物に変わったが、ヴィンコムAという名前もいつのまにかユニオンスクエアという名前に変更されたようである。[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”50″][vc_single_image image=”466″ border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” img_size=”800×483″][vc_column_text]エデンが建つ前はこの場所は薬局店であった。右側のコンチネンタルホテルは今とあまり変わらない [Photo nadal Saigon][/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image image=”470″ border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” img_size=”800×508″][vc_column_text]上の写真よりは年代が下がっているようだがまだエデンが建設される前の写真。ドンコイ通りは当時はRue Catinatと呼ばれていた。[Images de l’Indochine Francaise][/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image image=”473″ border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” img_size=”800×501″][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image image=”474″ border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” img_size=”800×508″][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image image=”467″ border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” img_size=”800×545″][vc_column_text]サイゴン陥落までエデンの前に建っていた米兵の銅像。[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” link=”http://i.imgur.com/d25juKM.jpg” image=”476″ img_size=”800 × 600″][vc_column_text]2010年、取り壊される直前のエデン。住民は窓からベトナム国旗を掲げて反対運動を行ったが、抵抗むなしく全戸退去となったしまった。 私が住んでいたのは右側アパートメント層の6階中庭側の一室であった。[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”50″][vc_column_text] ジブラルカフェ [/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text]エデンモールの1階はジブラルカフェ(Givral Cafe)という喫茶店が入居していた。 1950年創業のジブラルカフェは、場所がら観光客はもちろん従軍記者や作家が多く立ち寄る場所であった。グレアム・グリーンの「おとなしいアメリカ人」で愛人のフォンが通ったミルクホールはこの店がモデルになったと思われる。ベトコンスパイのファム・スン・アンもここでアメリカ人ジャーナリスト等と交友を深めた。 自宅が階上にあったこともあり、なんどもここで打ち合わせを行ったり、ひとりでコーヒーを飲んだりしたが、正直、古臭い店でサービスも悪く、向かいのタックスデパート上のハイランズコーヒーに行くことの方が多かった。 エデンモール取り壊し後、再びジブラルカフェは元の角地に入居したが、2、3年後には退去してしまった。客数が少なかったためか、賃料が高かったためかその理由はわからないが、ジブラルカフェもベトナムの急速な時代の流れに押し流されたのである。[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” link=”http://i.imgur.com/d25juKM.jpg” image=”480″ img_size=”800 × 374″][vc_column_text]エデンが取り壊しになる数年前のジブラルカフェ[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” link=”http://i.imgur.com/d25juKM.jpg” image=”481″ img_size=”800 × 443″][vc_column_text]ドンコイ通り側からジブラルカフェを望む[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” link=”http://i.imgur.com/d25juKM.jpg” image=”482″ img_size=”800 × 532″][vc_column_text]LIFEに掲載されたジブラルカフェ[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image

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ベトナム戦記:開高健

[vc_row][vc_column][vc_column_text][amazonjs asin=”402260607X” locale=”JP” title=”ベトナム戦記 (朝日文庫)”][/vc_column_text][ultimate_spacer height=”50″][vc_column_text] 銃音がとどろいた時、私の中の何かが粉砕された。 本書は1964年末から65年初頭にかけて、開高健がサイゴンから「週刊朝日」に毎週送稿したルポルタージュを、帰国した開高自身が大急ぎでまとめて緊急出版したものである。[/vc_column_text][/vc_column][/vc_row][vc_row][vc_column width=”1/1″][ultimate_spacer height=”20″][dt_quote type=”blockquote” font_size=”big” background=”plain”]銃音がとどろいた時、私の中の何かが粉砕された。膝が震え、暑い汗が全身を浸し、むかむかと吐き気がこみ上げた。たっていられなかったので、よろよろと歩いて足をたしかめた。 (中略) 彼は《英雄》にもなれば《殺人鬼》にもなる。それが《戦争》だ。しかし、この広場には、何かしら《絶対の悪》と呼んでよいものがひしめいていた。 [/dt_quote][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text]開高はベトコン少年の公開銃殺に立ち会った。20歳の私立高校生で地雷1kgと手榴弾を運搬中に逮捕されたものである。公開処刑が行われたのはベトナム鉄道公社のビル前、ベンタイン市場の左前あたりであった。[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][dt_quote type=”blockquote” font_size=”big” background=”plain”]サイゴンを陰謀と血だけの都だといいきってしまうのは誤りである。大半の市民は優しく、おだやかに、貧しく、いそがしくはたらいて暮らしている。[/dt_quote][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text]当時すでに開高は小説家として有名であったが、混沌としたベトナムとサイゴンの状況を週刊朝日の記者=ジャーナリストとして日本に伝えた。また作家としてベトナム庶民の中に深く分け入り、愛情を持ってベトナム人と接していた。[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][dt_quote type=”blockquote” font_size=”big” background=”plain”]「・・・・・ところで」 私が少尉に聞いた。 「グェン・フゥ・トゥは一般民衆の中で評判はいいのですか?」 「グェン・フゥ・トゥ?グェン・フゥ・トゥって、誰です?」 「ベトナムのナンバーワン指導者ですよ。議長です」 「はじめて聞きました。どういうつづりですか?」 「N…g…u…y…e…」 「N…g…u…y…e」 「民族解放戦線の評議会の議長です」 「民族解放戦線?民族解放戦線って何のことです?」 「ベトコンのことです。彼らは自分のことをそう呼んでいます」 「へへえ。それは知らなかったです。民族解放戦線、民族解放戦線・・・・・」 少尉は口の中でひくく、”ナショナル・リベレイション・フロント”、”ナショナル・リベレイション・フロント”とつぶやいた。それはたしかに、はじめてものを知った時に人がする口調であると思われた。トボけているとは思えなかった。 熱心な中学生みたいなチュウ少尉の小さくて黒い、すこしかしげた頭の影を眺めながら私は声が出せないくらい驚いていた。文盲の一兵卒ならいざ知らず、この少尉は砦ではいつも砂袋を積んだ作戦室で地図を相手に仕事をしているのである。隊のなかでは機敏で沈着な、反射の速い、なかなかたのもしい青年将校なのである。それが何年となく毎日毎日たたかいつづけている相手の指導者の名も知らず、つづりも知らず、正しい名称も知らないというのである。秋元キャパと私は思わず暗がりで顔を見合わせた。彼も低く唸ったきり声がでなくなっていた。 この戦争は政府側の負けだ。 ハッキリ、そうきまった。 寝たほうがよさそうだ!・・・・・[/dt_quote][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text]開高がこのルポを伝えたのは1964年末から1965年にかけてのことで、サイゴン陥落まで10年以上も前のことである。 しかし開高はすでにこの時点で南側の負けを予感していた。慧眼と言わざるを得ない。[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”50″][vc_gmaps link=”#E-8_JTNDaWZyYW1lJTIwc3JjJTNEJTIyaHR0cHMlM0ElMkYlMkZ3d3cuZ29vZ2xlLmNvbSUyRm1hcHMlMkZkJTJGZW1iZWQlM0ZtaWQlM0R6WXRHaU9JcWNmWlEua0V4UzZ3VndFaWpZJTIyJTIwd2lkdGglM0QlMjI2NDAlMjIlMjBoZWlnaHQlM0QlMjI0ODAlMjIlM0UlM0MlMkZpZnJhbWUlM0U=”][ultimate_spacer height=”50″][/vc_column][/vc_row][vc_row][vc_column width=”1/1″][vc_column_text] 映像 [/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text]開高健が見た世界 泥沼ベトナムから[dt_gap height=”20″ /][/vc_column_text][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=BnOfVT5975M”][ultimate_spacer height=”20″][vc_row_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_column_text]Vietnam War: 502nd Battalion 101st Airborne Division at Ben Cat on Dec 9, 1965 US Army[dt_gap height=”20″ /][/vc_column_text][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=mXAW0Mq4M7s”][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text]1965年開高がBen Catを訪問した同じ年、12月のBen Cat Airborneの映像[/vc_column_text][/vc_column_inner][vc_column_inner width=”1/2″][vc_column_text] Vietnam War Documentary HD: Setting on Fire Vietnam Buddhist Monk ? [dt_gap height=”20″ /][/vc_column_text][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=LclBfYmyDMw”][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text]ゴ・ディン・ジェム政権と仏教徒の敵対がなぜ起こったのか?詳細に報じたドキュメンタリーである。[/vc_column_text][/vc_column_inner][/vc_row_inner][ultimate_spacer height=”50″][/vc_column][/vc_row][vc_row][vc_column width=”1/1″][vc_column_text] 参考リンク 開高健記念館:開高健とベトナム 年表と地図 [/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_basic_grid post_type=”post” max_items=”10″ style=”all” items_per_page=”10″ show_filter=”” element_width=”4″ gap=”30″ orderby=”date” order=”DESC”

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1970年代初頭、サイゴンはウッドストックだった。CBC Bandの軌跡。

[vc_row][vc_column][vc_column_text] CBC Bandは1960年台半ばから1975年まで、サイゴンで活躍したロックバンド。貧しい家庭に生まれた兄妹によるファミリーバンドであったが、米軍人や若者を相手にアメリカンロックを演奏して金を稼いでいた。[/vc_column_text][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=jk4r3Vj8p_k” title=”Tinh Yêu Tuyệt Vời (The Greatest Love)”][vc_column_text] メンバーはリードボーカルのNam Loc、ギターのTung Ling、ギターのTung Vanの3名。 1971年4月8日、バンドの名を冠したCBC BARでプラスティック爆弾が爆発し、米兵1名と14歳の女性が爆殺された。この時、バンドはツアーで不在だったため難を逃れた。 1974年、インドへのツアーの中にオーストラリアへの亡命を申請するが却下。そのままインドチベット僧の保護のもとインドに滞在した。1975年サイゴン陥落後、アメリカ大使館に再度亡命申請を行い、承認された。渡米後はテキサス州ヒューストンに居を構えた。 2011年4月8日、再結成コンサートがヒューストンで行われた。[/vc_column_text][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=reAPjyVxLFQ#t=20″ title=”Con Tim Và Nước Mắt (Heart And Tears)”][vc_column_text]リードボーカルのBich Loanをフィーチャーしたロック。今でも色あせない音楽性があると思います。[/vc_column_text][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=FuT-MCo_qKY” title=”CBC Band: Live at the Saigon Zoo”][vc_column_text]1971年5月29日にサイゴン動物園で開催されたロックコンサートの模様。まるでウッドストックのようです。[/vc_column_text][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=E_dgtEHKvxI” title=”CBC Band: Band on the run”][vc_column_text]1974年CBC Bandはベトナムを離れ、タイ、バリ、マレーシアと渡り歩き、ついにインドのボンベイに到達した。この地でサイゴン陥落を迎える。1975年ニューデリーのアメリカ大使館に亡命を申請。認められ、アメリカに亡命した。映像は1975年7月15日に録画された亡命前の模様。このCBCニュースのレポートが亡命が認められるきっかけになった。[/vc_column_text][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=u7jIOcxRDgM” title=”CBC Band & Vietnam Vets Reunion”][vc_column_text]2011年ヒューストンで再結成コンサートが行われ、当時のメンバーや米兵が集結した。[/vc_column_text][vc_single_image image=”363″ img_size=”800×564″][vc_single_image image=”374″ img_size=”800×564″][vc_column_text]1971年4月8日、CBC Club (My Phuong Club)はテロリストによるプラスティック爆弾により破壊された。この時、バンドは出演しておらず難を逃れたが、米兵1名と14歳の少女が死亡した。クラブは現在のPhan Van Dat通りにあったようである。[/vc_column_text][vc_column_text] [map lat=”10.775345″ lng=”106.704997″]CBC Club(推定)[/map] [/vc_column_text][vc_column_text] 参考リンク CBC Band Facebook page [/vc_column_text][/vc_column][/vc_row][vc_row][vc_column][vc_masonry_grid post_type=”post” max_items=”10″ show_filter=”yes” filter_source=”category” arrows_design=”none” arrows_position=”inside” arrows_color=”blue” paging_design=”radio_dots” paging_color=”grey” loop=”” autoplay=”-1″ taxonomies=”4″ grid_id=”vc_gid:1475905750574-3df4c6e9-5bf9-7″][/vc_column][/vc_row]

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旧アメリカ大使館

[vc_row][vc_column][vc_column_text]ホーチミンの金融街に建つ古ぼけた建物はかつてのアメリカ大使館です。1964年にベトコンによる爆弾テロ事件が起こるまでアメリカ大使館と使われていました。現在もほぼ当時のまま残され、銀行大学の本部オフィスビルとして使われています。[/vc_column_text][vc_masonry_media_grid element_width=”2″ filter_size=”md” include=”314,317,320″][vc_column_text] 1950-1965 The United States granted recognition to the State of Vietnam led by the Bảo Đại government in 1950, and a U.S. embassy was established in Saigon that year. Following the Geneva Accords of 1954 and the subsequent partitioning into North Vietnam and South Vietnam, the United States did not extend diplomatic recognition to North Vietnam. The first U.S. embassy was located at 39 Hàm Nghi Boulevard (10°46′13.82″N 106°42′17.27″E) and the original building remains there today. 1950年バオダイ帝政権に率いられたベトナム国の承認を得た米国は、この年、サイゴンに最初の大使館を開いた。 1954年のジュネーブ協定に基づいて南北ベトナムが実質的に分断され、米国は北ベトナムとは国交を樹立しなかった。 最初の米国大使館はハムギー通りに位置(10°46′13.82″N 106°42′17.27″E)し、今日まで当時の姿をとどめている。 1965-1966 On 30 March 1965, the Viet Cong detonated a car-bomb outside the embassy, killing one female embassy employee, Barbara Robbins, another American, 19 Vietnamese and

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Sad Song of Yellow Skin (Canadian National Film Board)

[vc_row][vc_column width=”1/1″][vc_column_text] Sad Song of Yellow Skin by Michael Rubbo, National Film Board of Canada [/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text]3名のアメリカ人ジャーナリストの視点でとらえられた1970年のサイゴンの映像ドキュメンタリー。戦場ではない生活に密着した当時のサイゴンが活き活きと撮影されています。 珍しいのはミトーのココナッツ教団の映像が収められています(8分30秒頃)。今でもココナッツ教団は跡地を見ることができますが、教祖の映像を見たのは初めてでした。[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text] 参考リンク Michael Rubbo(監督)[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][/vc_column][/vc_row][vc_row][vc_column width=”1/1″][vc_masonry_grid post_type=”post” max_items=”10″ style=”all” items_per_page=”10″ show_filter=”yes” element_width=”4″ gap=”30″ orderby=”date” order=”DESC” filter_source=”category” filter_style=”default” filter_align=”center” filter_color=”grey” filter_size=”md” button_style=”rounded” button_color=”blue” button_size=”md” arrows_design=”none” arrows_position=”inside” arrows_color=”blue” paging_design=”radio_dots” paging_color=”grey” loop=”” autoplay=”-1″ item=”masonryGrid_Default” taxonomies=”6″][ultimate_spacer height=”20″][/vc_column][/vc_row]

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ベトナム鉄道公社

[vc_row][vc_column width=”1/1″][vc_masonry_media_grid style=”all” items_per_page=”10″ element_width=”2″ gap=”5″ filter_size=”md” button_style=”rounded” button_color=”blue” button_size=”md” arrows_design=”none” arrows_position=”inside” arrows_color=”blue” paging_design=”radio_dots” paging_color=”grey” loop=”” autoplay=”-1″ item=”masonryMedia_Default” include=”286,288,289,290,291,292,293″][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text]ベンタイン市場の左前、ハムギー通りの始点に建つコロニアル建築が「ベトナム鉄道公社」です。もともとベンタイン市場の前には駅があったため、当時からこの場所に位置してきました。アメリカとのベトナム戦争後、サイゴン駅は現在の3区に移転されました。[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image image=”253″ border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” img_size=”800×500″][vc_column_text]1900年代初頭?奥にベンタイン市場が見える[wikimap][/vc_column_text][vc_single_image image=”250″ border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” img_size=”800×500″][vc_column_text]1900年代初頭?[wikimap][/vc_column_text][vc_single_image border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” link=”http://i.imgur.com/d25juKM.jpg” image=”299″ img_size=”800 × 478″][vc_column_text]Old Saigon Picture of the Day: Saigon Railroad Building [Saigoneer][/vc_column_text][vc_single_image border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” link=”http://i.imgur.com/d25juKM.jpg” image=”302″ img_size=”800 × 478″][vc_column_text]ベンタイン市場の前がまだ線路だった頃の珍しい写真。1915年頃。 Old Saigon Picture of the Day: Saigon Railroad Building [Saigoneer][/vc_column_text][vc_single_image image=”256″ border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” img_size=”800×500″][vc_column_text]1965年1月29日早朝。ベトコン少年がこのビルの前で公開処刑された[開高健 ベトナム戦記 (朝日文庫)][/vc_column_text][/vc_column][/vc_row][vc_row][vc_column width=”1/1″][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text] 位置 [/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text][map lat=”10.771529″ lng=”106.698852″]ベトナム鉄道公社[/map][/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text] 関連記事 [/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_masonry_grid post_type=”post” max_items=”10″ style=”load-more” items_per_page=”10″ show_filter=”” element_width=”4″ gap=”30″ orderby=”date” order=”DESC” filter_source=”category” filter_style=”default” filter_align=”center” filter_color=”grey” filter_size=”md” button_style=”rounded” button_color=”blue” button_size=”md” arrows_design=”none” arrows_position=”inside” arrows_color=”blue” paging_design=”radio_dots” paging_color=”grey” loop=”” autoplay=”-1″ item=”masonryGrid_Default” taxonomies=”18, 23″][/vc_column][/vc_row]

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サイゴンのいちばん長い日(近藤紘一)

私は、私自身とこの国との最初の出会いとなった何年も前の朝のひとときを、妙に静かな気持ちで思い出しながら、戦火の連なる水田の彼方を長い間見つめた。絶え間ない銃声や砲音も耳に入らなかった。根元をさぐれば殺伐なはずの、黒煙や白煙自体も、このものうい大パノラマの中では、春がすみのように淡くおだやかなものにみえる。 その優しく穏やかな風景を舞台に、今、ひとつの世界の終焉の最後の幕が演じられている。次々と盛り上がる黒煙、白煙、バラバラに飛び交う数知れぬ黒い鳥 ー。人の世は儚く矮小だ。そして一国の最後とは何とグロテスクなものかー身を置く場所も時も忘れてそんなことを思った

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ヴォー・グエン・ザップは、かく語りき(NHK)

[vc_row][vc_column][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=7szAnv6bcVc” title=”ヴォー・グエン・ザップは、かく語りき(1/4)”][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=oKhNqKXIJXU” title=”ヴォー・グエン・ザップは、かく語りき(2/4)”][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=mjncK2gyUYE” title=”ヴォー・グエン・ザップは、かく語りき(3/4)”][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=OP8Fp7h5qC0″ title=”ヴォー・グエン・ザップは、かく語りき(4/4)”][/vc_column][/vc_row][vc_row][vc_column][vc_column_text] 参考リンク [/vc_column_text][vc_column_text] ハーツ・アンド・マインズ 映画で見るベトナム戦争の真実(NHK) 監督 Peter Davis (Wikipedia) [/vc_column_text][/vc_column][/vc_row]

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雨に消えたあなた(美しい昔) (Diễm Xưa)

[vc_row][vc_column][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=zBFrLYJ5KOY” title=”Diễm Xưa – KHÁNH LY”][dt_gap height=”20″][vc_column_text]1970年、大阪万博にカイン・リーが出演、日本でレコードを発売する。その中の日本語の歌詞による一曲「雨に消えたあなた(美しい昔)」が、1978年の近藤紘一原作のNHKドラマ「サイゴンから来た妻と娘」の主題歌に使われた。その後、すがはらやすのり (1984)、加藤登紀子 (1997)、天童よしみ (2003) によってカヴァーされている。天童よしみは2003年のNHK紅白歌合戦に出場した際この曲を歌った。またこの曲は、関西学院大学のベトナム文化科目にも取り入れられた。 [Wikipedia][/vc_column_text][dt_gap height=”20″][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=gJ3B0hYa9xU” title=”Diễm Xưa-Khánh Ly & Utsukushi Mukashi”][dt_gap height=”20″][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=hx0rH2X9EzQ” title=”美しい昔”][dt_gap height=”20″][/vc_column][/vc_row][vc_row][vc_column width=”1/1″][vc_masonry_grid post_type=”post” max_items=”10″ style=”all” items_per_page=”10″ show_filter=”yes” element_width=”4″ gap=”30″ orderby=”date” order=”DESC” filter_source=”category” filter_style=”default” filter_align=”center” filter_color=”grey” filter_size=”md” button_style=”rounded” button_color=”blue” button_size=”md” arrows_design=”none” arrows_position=”inside” arrows_color=”blue” paging_design=”radio_dots” paging_color=”grey” loop=”” autoplay=”-1″ item=”masonryGrid_Default” taxonomies=”4″][/vc_column][/vc_row]

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Hearts and Minds (1974)

[vc_row][vc_column width=”1/1″][vc_column_text]Hearts and Minds is a 1974 American documentary film about the Vietnam War directed by Peter Davis. The film’s title is based on a quote from President Lyndon B. Johnson: “the ultimate victory will depend on the hearts and minds of the people who actually live out there”.[1] The movie was chosen as Academy Award for Best Documentary Feature at the 47th Academy Awards presented in 1975.[2] [wikipedia][/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][/vc_column][/vc_row][vc_row][vc_column width=”1/1″][vc_video title=”HEARTS AND MINDS (1974)” link=”https://www.youtube.com/watch?v=1d2ml82lc7s”][ultimate_spacer height=”20″][vc_masonry_media_grid style=”all” items_per_page=”10″ element_width=”4″ gap=”5″ filter_size=”md” button_style=”rounded” button_color=”blue” button_size=”md” arrows_design=”none” arrows_position=”inside” arrows_color=”blue” paging_design=”radio_dots” paging_color=”grey” loop=”” autoplay=”-1″ item=”masonryMedia_Default” include=”147,148,149,150,151,152,153,154,155,156,157,158,159,161″][ultimate_spacer height=”20″][/vc_column][/vc_row][vc_row][vc_column width=”1/1″][vc_masonry_grid post_type=”post” max_items=”10″ style=”all” items_per_page=”10″ show_filter=”yes” element_width=”4″ gap=”30″ orderby=”date” order=”DESC” filter_source=”category” filter_style=”default” filter_align=”center” filter_color=”grey” filter_size=”md”

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The Fall of Saigon (Discovery Channel)

[vc_row][vc_column][vc_column_text]1998年2月にDiscovery Channelから発売されたThe Fall of SaigonのYoutube映像です。アメリカ側から見たサイゴン陥落が克明にリポートされています。[/vc_column_text][/vc_column][/vc_row][vc_row][vc_column][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=73W2qexp_tk” title=”The Fall Of Saigon (Discovery Channel Part 1)”][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=q0aP2e0ODYQ” title=”The Fall Of Saigon (Discovery Channel Part 2)”][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=5RCVspcB3i8″ title=”The Fall Of Saigon (Discovery Channel Part 3)”][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=OQ-ep-teCfU” title=”The Fall Of Saigon (Discovery Channel Part 4)”][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=xyzk1pNv0Ug” title=”The Fall Of Saigon (Discovery Channel Part 5)”][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=-lfxmhck9_U” title=”The Fall Of Saigon (Discovery Channel Part 6)”][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=mYJyllwH-p8″ title=”The Fall Of Saigon (Discovery Channel Part 7)”][vc_video link=”https://www.youtube.com/watch?v=nvxGEl5yHpE” title=”The Fall Of Saigon (Discovery Channel Part 8)”][/vc_column][/vc_row]

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