からゆきさん

今村昌平「からゆきさん」

今は亡き今村昌平監督のドキュメンタリー「からゆきさん」を観ました。公開は1973年で44年前のマレーシアでのロケ地です。 当時はまだ明治生まれのからゆきさんが海外にも存命で、からゆきさん本人を生で取材した貴重なドキュメンタリーとなっています。 戦前には香港、シンガポールをはじめとして、マレーシア、サイゴンなどには酌婦として働いていた日本人女性が多く在住していました。サイゴンで一大商社を築き上げた大南公司の松下光廣翁も、からゆきさんであった叔母を頼ってベトナムに渡ったことが知られています。彼女たちは商人や軍部の進出に先立って現地に溶け込み、大変な苦労を重ねて異国で生き抜きました。まだ発展途上国であった日本の貧困問題や部落問題もからゆきさん問題に関係していたことが描かれています。 https://m.youtube.com/watch?v=NQgBqzuRU3k

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ベトナム日系社会のルーツは娼婦であるからゆきさんであった?

まずこの統計を見てください。1898年のサイゴンの国別居住者の人口です。当時はフランスの植民地でしたからフランス人が2,323人と西洋人の中で一番多く、アジア人では安南人(ベトナム北中部)16,497人、中国人13,113人が目立ちます。当時、サイゴンの米市場を支配していたのは中国人でしたから、中国人の数が多いこともうなづけます。 日本人は98名、そのうち男性が32名、女性が51名、子供が15名となっています。女性の比率が多いと思いませんか? 実はその多くが「からゆきさん」だったのです。 からゆきさんとは Wikipediaによると からゆきさん(唐行きさん)とは、19世紀後半に、東アジア・東南アジアに渡って、娼婦として働いた日本人女性のことである。長崎県島原半島・熊本県天草諸島出身の女性が多く、その海外渡航には斡旋業者(女衒)が介在していた。「唐」は、漠然と「外国」を指す言葉である。 とあります。当時、島原・天草地方は大変貧しく、女衒が地方を回って漁村の娘たちに海外渡航を勧めたのです。 当時のサイゴンの絵葉書に載ったからゆきさんたち ベトナム日系社会の礎となった お金のためとはいえ、故郷を遠く離れて娼婦となった彼女たちの辛さや悲しさは想像を絶します。からゆきさんの中にはお金を貯めて旅館を経営したり飲食店を開く者もいたようです。またからゆきさんたちを目当てに日本の物産を販売したり、着物を販売する者たちも当地を訪問したり、在住する者もいました。 サイゴン陥落までベトナムの日系経済界では大南公司という会社が隆盛を誇っていました。その創業者の松下光廣もからゆきさんであった叔母がハイフォンに開業していた旅館を訪ねてベトナムにやってきたのです。今となっては歴史に埋もれてしまいましたが、100年以上も前にこの地に住んでいたからゆきさんたちに思いをはせると切ない気持ちがします。

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