エデン

エデンモールとジブラルカフェ(現ユニオンスクエア)

[vc_row][vc_column width=”1/1″][vc_masonry_media_grid style=”all” items_per_page=”10″ element_width=”4″ gap=”5″ filter_size=”md” button_style=”rounded” button_color=”blue” button_size=”md” arrows_design=”none” arrows_position=”inside” arrows_color=”blue” paging_design=”radio_dots” paging_color=”grey” loop=”” autoplay=”-1″ item=”masonryMedia_Default” include=”463,459,457,453,454,455,458,460,461,452″][ultimate_spacer height=”50″][vc_column_text] エデンモールの思い出 ドンコイ通りとレロイ通りの交差点、オペラハウスとコンチネンタルホテルの前にエデンという建物が2010年まで建っていた。ホーチミン市の繁華街、日本でいえば銀座四丁目交差点のような場所に建つこのビルには、ショピングセンターや映画館等が入ったショッピングモールとアパートからなる複合ビルであった。 エデンは個人的に思い入れの深い建物で、実は1年あまりこのビルに住んでいたのである。アパート層の6階、壊れた観音開き式のエレベーターが修理もされずに放置され、毎日なんども息を切らせながら自宅アパートに昇ったものである。入り口階段は1階の仕立屋の奥にあったため、来客に行き順を説明するのも大変であった。 場所がら便利な場所だと思われがちだったが、正直、日常生活を送るには不便な場所であった。来客があってもバイクを止める場所もなく、コンチネンタルホテルで食事をするわけにもいかないため朝夕の食事も苦労した。 それでも古いフランス風の建物は天井が高く、広々としたフラットにはシーリングファンがあり、作り付けの家具もヨーロッパ風であった。跳ね上げ式のフランス窓を開けると、いまにも崩壊しそうなパティオがあり、道路に面していない分、意外に静かであった。目前には人民委員会の建物が美しく佇んでいた。 当時の家賃は500ドル。部屋の内容に比べると決して安くはなかったが、ここに住んでいるだけで特別な気分になれたものである。 この土地はデベロッパーのヴィンコムに売却され、我々も立ち退き反対運動の渦中に巻き込まれた。各階にベトナム国旗がはためき、住民が1階路上で静かに反対運動を行っていたのが懐かしい。当然、無駄な抵抗に終わってほどなくエデンは取り壊され、今の建物に変わったが、ヴィンコムAという名前もいつのまにかユニオンスクエアという名前に変更されたようである。[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”50″][vc_single_image image=”466″ border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” img_size=”800×483″][vc_column_text]エデンが建つ前はこの場所は薬局店であった。右側のコンチネンタルホテルは今とあまり変わらない [Photo nadal Saigon][/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image image=”470″ border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” img_size=”800×508″][vc_column_text]上の写真よりは年代が下がっているようだがまだエデンが建設される前の写真。ドンコイ通りは当時はRue Catinatと呼ばれていた。[Images de l’Indochine Francaise][/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image image=”473″ border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” img_size=”800×501″][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image image=”474″ border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” img_size=”800×508″][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image image=”467″ border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” img_size=”800×545″][vc_column_text]サイゴン陥落までエデンの前に建っていた米兵の銅像。[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” link=”http://i.imgur.com/d25juKM.jpg” image=”476″ img_size=”800 × 600″][vc_column_text]2010年、取り壊される直前のエデン。住民は窓からベトナム国旗を掲げて反対運動を行ったが、抵抗むなしく全戸退去となったしまった。 私が住んでいたのは右側アパートメント層の6階中庭側の一室であった。[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”50″][vc_column_text] ジブラルカフェ [/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_column_text]エデンモールの1階はジブラルカフェ(Givral Cafe)という喫茶店が入居していた。 1950年創業のジブラルカフェは、場所がら観光客はもちろん従軍記者や作家が多く立ち寄る場所であった。グレアム・グリーンの「おとなしいアメリカ人」で愛人のフォンが通ったミルクホールはこの店がモデルになったと思われる。ベトコンスパイのファム・スン・アンもここでアメリカ人ジャーナリスト等と交友を深めた。 自宅が階上にあったこともあり、なんどもここで打ち合わせを行ったり、ひとりでコーヒーを飲んだりしたが、正直、古臭い店でサービスも悪く、向かいのタックスデパート上のハイランズコーヒーに行くことの方が多かった。 エデンモール取り壊し後、再びジブラルカフェは元の角地に入居したが、2、3年後には退去してしまった。客数が少なかったためか、賃料が高かったためかその理由はわからないが、ジブラルカフェもベトナムの急速な時代の流れに押し流されたのである。[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” link=”http://i.imgur.com/d25juKM.jpg” image=”480″ img_size=”800 × 374″][vc_column_text]エデンが取り壊しになる数年前のジブラルカフェ[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” link=”http://i.imgur.com/d25juKM.jpg” image=”481″ img_size=”800 × 443″][vc_column_text]ドンコイ通り側からジブラルカフェを望む[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image border_color=”grey” img_link_large=”” img_link_target=”_self” link=”http://i.imgur.com/d25juKM.jpg” image=”482″ img_size=”800 × 532″][vc_column_text]LIFEに掲載されたジブラルカフェ[/vc_column_text][ultimate_spacer height=”20″][vc_single_image

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