ベンタン市場

【SAIGON VLOG】#015 DJI OSMO MOBILEを使ってベンタン市場でタイムラプスと擬似空撮に挑戦!

DJI OSMO MOBILEを使ってサイゴンで最も有名なベンタン市場でタイムラプスと擬似空撮に挑戦しました。 まだ動画を撮り始めて3週間くらいなのですが面白さにハマっています。 あとはもっと腕を上げて納得いく動画が撮れれば嬉しいです。 [fve]https://youtu.be/8U4dKlXG5BA[/fve]

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【ベトナム近現代史】10月15日に閉鎖予定のベンタン市場前のサークルが写っている古い写真を集めてみた。

今月15日で地下鉄工事のためベンタン市場前のサークルは通行禁止となります。いったん工事が始まってしまえば3年間程度入ることが出来ません。 周囲の交通状況も変わるでしょうし、風景も一変するに違いありません。 ベンタン市場がこの地にできてからほぼ100年立ちますが、この間に撮られた写真をネットから集めて来ました。 1960年代。かわいいルノーのタクシーが走っています。 1900年代初頭。馬車が走っています。 当時は馬車がバス代わりだったんですね。 レロイ通りをオペラハウス側に向かって写していますが、ほとんど建物らしい建物はありません。 時代がいっきに下って1960年代です。市場前に歩道橋が立っていました。これはいま設置して欲しいです。 Bata(靴)の広告。なぜかBataは元植民地に強いブランドです。 こちらは珍しい写真。ミトーに向かう列車が写っています。ハムギー通りから4区を抜けてミトーまで鉄道が走っていました。 別の角度から。左側がベンタン駅で駅舎が見えます。インフラとしては昔の方が進んでいましたね。

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ベンタン市場が安全な食品を取り扱う市場へ変身。ベンタン市場ビジネスモデルとは?:Ben Thanh to become safe-food market

情報源: Ben Thanh to become safe-food market ホーチミン産業貿易局は2016年〜20年にかけて1区のベンタン市場を安全な食品を取り扱う市場としてパイロットプロジェクトを開始することにした。 プロジェクトによると安全食品市場とは農作物の産地証明と品質証明の基準を満たすものになるという。 安全食品モデルは野菜、豚肉、その他の流通およびフードサービスに適用される。 2020年以降はすべての以上に基準が適用される見込み。 外資を中心とした大型小売が参入し、品質およびサービスについてもベンタン市場ビジネスモデルは成り立たなくなってきているのだと思います。 ベンタン市場ビジネスモデルとは私が命名したものです。相手の顔色と懐具合をさぐりながら価格交渉を行うもので、ベンタン市場に限らずベトナムの会社とB to Bビジネスを行うには必ず通る関門です。 さらに悪い事に、日本の場合は取引が継続的になると信用を守るためより品質やサービスは良くなる(もしくは現状維持)なのですが、ベトナムのB to Bの場合は取引が継続的になると、わからないように品質を落としたり、手を抜いたりすることがあることです。ですから常に複数会社を競争させるようにしないと品質維持が難しくなります。

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ところでサイゴンってどこだ?古地図で探すサイゴン。

かなり前の話ですが、タンソンニャット国際空港からタクシーに乗った際、年配のドライバーが「サイゴンへ行くのか?」と聞いてきました。ええ、サイゴンまでと応えたのですが、タンソンニャットはどう考えてもホーチミン市内です。世界でも珍しいくらい都心部に立地する空港なのですが、この年配のドライバーにとってはタンソンニャットはサイゴンではないという意識のようでした。 このブログでは意識的にサイゴンという言葉を使っていますが漢字で書くと西貢、「ミス・サイゴン」「サイゴンビール」「ホテル・ニッコー・サイゴン」と様々な場所や物にサイゴンの名前は残っています。 現在のホーチミン市をGoogle Mapで検索すると、クチからカンザーまで広大な範囲がホーチミン市であることが分かります。もちろんこの名前はホー・チ・ミン師の名前から採ったもので、かつてはTo Do通り(トゥーヨー通り=自由通り)と呼ばれた通りが現在ではDong Khoi(ドンコイ通り=同起通り)と呼ばれているようなものです。ちなみにベトナム全国の道路名は革命に関連した人物名が通り名になっていて、どの街にも同じ名前の通りがあるので、Google Mapで検索するととんでもない場所が検索されたりします。解放後の名称はどうも堅苦しいものが多いので意識的にサイゴンと読んでいるのです。 また戦前からここに住んでいる南部の人々は親しみをこめてサイゴン、その他一般的にはホーチミンまたはホーチミン市と呼ばれるようです。 さてそのサイゴンですが、ドライバーの意識ではどこからがサイゴンだったのでしょうか?古い地図を探してみて現在の地図と比較してみました。 こちらの地図は1800年代半ばのサイゴンです。かなり不正確な地図のようで、サイゴン川がドンナイ川になっていますし、あきらかに独立宮周辺のサイズが大きすぎます。当時は現在のグエン・フエ通りは運河で、サンワ・タワーの敷地は教会でした。 こちらは時代が下って19世紀末から20世紀初頭のものと思われます。グエンフエ通りやハムギー通りも見えますが、ベンタン市場はまだ描かれていません。その割には北部方面、現在のダカオからタンディン地区にかけてまばらですが家屋の書き込みがあります。また現在のトンドゥクタン通りは社会人文大学のところで途切れていて政府系の敷地だったことが分かります。 さらに時代が下ってこれは1950年代、カラベルホテルが観光客用に配っていた地図だと思います。4区の一部が描かれています。北はほぼ現在のリー・チン・タン通りまでがサイゴンで、東はKênh Nhiêu Lộc 運河まで、南はサイゴン川までです。 西は現在のグェンバンクー通りまであたりがサイゴンの範囲だったようです。 この地図で面白いのはベンタン市場から北と西に向かって鉄道が伸びているのがわかることです。北方向へは現在の南北統一鉄道と同じ路線ですが、西方向はチョロンへ向かっています。当時の認識としてはサイゴンとチョロンは別の街だったようです。また南方向に向かって伸びる鉄道はメコンデルタに向かう鉄道でした。 総じて現在の1区と3区がサイゴンと呼ばれる街であったようです。

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