ダラット

エピローグ旅の始まり:10日もある長いテト休暇をどう過ごすか?中学生のような思いつきで旅に出ることにした。

Kevin Turinsky via Compfight ベトナム人にとっては家族と一緒に過ごす大切なテト(ベトナムの春節)も外国人にとっては店も開いていないし、どこにも行くところがなく、時間を持て余すだけです。昨年はシェムリアップに数日間行きましたがさすがにもう5回も行っているので全く行く気が起こりません。 お金をかけずに思い出に残る時間を過ごしたいと思っていた矢先、先日AEONで3,000,000VND(約1万5000円)で買った自転車が目にとまりました。そうだ、これに乗って行けるところまで行こう・・・とまるで中学生のような思いつきで今年はベトナム国内を自転車に乗って旅に出ることにしました。サイゴンからダラットまでは約300km、ちょうど東京から名古屋までの距離です。バスでダラットまで行ってそこから自転車に乗って帰ってこようというわけです。 これまで自転車で長距離を走ったことはありませんし、ダラットからサイゴンまでも飛行機でしか行ったことがありません。ましてや1日どれくらい走ることができるのか、果たして走り切ることができるのか、テト期間中のホテルの予約は?とわからないことだらけなのですが、もし仮に1日8時間歩いたとして40km、7日あれば戻って来れる距離です。急がず、ゆっくり走って、土地の人々と触れ合いながら記憶に残る旅をしたいと思います。随時ブログにもアップしていきますのでお楽しみください。 同縮尺のダラット→ホーチミン市と東京→名古屋  

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ダラットのマダム・ヌーの別荘を訪ねて

昨年4月、ダラットに出張で出かけた際に時間を見つけてマダム・ヌーの別荘を訪ねてきました。長らく写真を撮っただけで放置していたのですが、撮影した写真とともに記事を掲載します。 マダム・ヌーとは Wikipediaによると「マダム・ゴ・ディン・ヌー(Madame Ngo Dinh Nhu、1924年4月15日 – 2011年4月24日)は、南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領の実弟である大統領顧問ゴ・ディン・ヌーの妻。本名はチャン・レ・スアン(Trần Lệ Xuân、陳麗春)」とあります。 1960年代初頭、アメリカは北ベトナムに対抗するために南ベトナム政府樹立に暗躍しました。初代大統領に選ばれたのがゴ・ディン・ジエム(Ngô Ðình Diệm)でその実弟ゴ・ディン・ヌー(Ngô Ðình Nhu)の妻がマダム・ヌーでした。大統領のジエムが生涯独身であったため、マダム・ヌーが実質的にファーストレディーを務めたのです。 アメリカの力を背景に大統領になったゴ・ディン・ジエムですが、次第にケネディ政権に対して反抗的な政権運営を行うようになってきました。当時、政権に弾圧されていた仏教徒が焼身自殺をした際、マダム・ヌーは「アメリカから輸入したガソリンで焼身自殺するなんて矛盾しているわ。単なるバーベキューよ」と発言したことがアメリカの逆鱗に触れたのです。 1963年ゴ・ディン・ジエムとゴ・ディン・ヌーはクーデターのため殺害されます。クーデーターを指揮したのはゴ・ディン・ジエムを嫌ったCIAによるものだと言われています。当時、海外に滞在していたマダム・ヌーはそのまま国外追放となり、2011年イタリア・ローマの病院で死去しました。 ダラットのマダム・ヌーの別荘 マダム・ヌーの父親は弁護士でアメリカ大使を務めた人物です。この別荘はもともと父親が居住用に建てたものを建増ししていったもので、合計3つの別荘が敷地内にあります。広大な敷地に当時としては豪華な設備だったのですが、現ベトナム政府にとって好ましからざる人物の遺構ですから長年放置されて荒れ放題になっていました。最近になって修復が進み、一般にも公開されるようになったのですが、ここを訪れる人は稀なようで、日本人が来たというとわざわざ学芸員の方が出てきて邸内を案内してくれました。 別荘の入り口から撮影。丘を利用して別荘が建てられています。 Jade Palace(水晶宮)と名付けられた別荘のエントランス マダム・ヌーとその家族の写真が掲げられています。当時のタイムやニューズウィークの表紙を飾る程、マダム・ヌーとその娘はセレブとして世界中の注目の的でした。 面白いものを見つけました。当時北ベトナム政府内務省に勤務していたボー・グェン・ザップ(後の北ベトナム軍大将)がマダム・ヌーの夫ゴ・ディン・ヌーに対して国立図書館の勤務を任命した証書です。両者ともベトナム近現代史では歴史的な人物ですがこんなところに接点があったとは感慨深いです。 中庭から別荘を望む。

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