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1975年以前のサイゴンは世界中からジャーナリストが集まっていたため豊富な写真や映像が残されていますが、サイゴン陥落後から1990年代中盤まで、共産ベトナム下ではあまり写真や映像が残っていません。

Flickrを眺めていたらSAIGON – Vietnam 1980s-90s – Photoというアルバムを見つけたので興味深く見ました。

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1980年といえば日本ではちょうどバブルの入口にあった時代で、社会全体浮かれていたように思います。Japan as No.1と言われ、日本人であるだけで世界中から羨まれた時代です。

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この頃、私はインドにいましたが、当時のインドと日本の経済格差は、一人当たりで見ればおそらく100倍を超えていたのではないかと思います。片や平均年収500万円、片や平均年収5万円という感覚でした。

当時、あるインド人経営者が「30年後に日本とインドの経済格差は今ほどなくなっているはずだ。なぜなら国が豊かになると若者が働かなくなる。インドは貧しいが貧困から立ち上がるために働く若者がいるから、これからますます発展するはずだ」と述べたことを記憶していますが、まさにその予言通りになったように思います。

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戦後間もないサイゴンも日本との格差に関していえばインドと大差なかったのではないかと思いますが、日越の経済格差もだんだん縮小されてきました。
何よりも以前は収入格差=情報格差であり、お金を持っているものとそうでないものの情報格差はひどく大きかったように思いますが、インターネットの出現によって貧富の差に関わらず情報格差は小さくなってきました。

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あるきっかけで1980年代後半のサイゴンに駐在した経験のあるアメリカ人と知り合いになって会話をしたことがありますが、ベトナム戦争直後のことなので、一般的なアメリカ人はベトナムに住むことはできませんでした。しかし二重国籍を持つ彼は国連職員としてサイゴンに駐在していたそうです。当時は外国人はサイゴンでは珍しく、外出をすると必ず公安が後をついてきたそうです。

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サイゴン中心街でもほとんど4輪車は走っておらず、バイクや自転車、シクロばかりだったそうですが、写真に写っているのもベスパかカブばかりです。

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話は変わりますが、現在話題の北朝鮮問題ですが、北朝鮮は韓半島を赤化統一するまでは核・ミサイル開発とアメリカへの挑発を止めないと思います。何年後になるかは分かりませんが、北は韓国併合のチャンスを刻々と狙っているはずです。私の予想ではアメリカが北朝鮮に対して戦争を仕掛けることはありません。北朝鮮はアメリカの顔色を伺いながら、チャンスがあればあっという間に韓国を併合するでしょう。

ホーチミン作戦により北ベトナムが南ベトナムに侵攻し、サイゴンが陥落するのに1ヶ月程度しかかかりませんでした。今でも北ベトナム人と南ベトナム人を見比べてみて、これだけ気質に差があれば南が北に破れてサイゴンが陥落するのも無理はないと感じることがあります。ましてや平壌からソウルまでは目と鼻の先です。生れながらに戦時下にある北朝鮮の若者と自由を謳歌しながら生きてきた韓国の若者が1対1で戦ったら勝敗は明らかだと思います。

このような状況は日本にとって望ましいことではありませんが、いつか韓半島に赤化統一国家が誕生し、1970、80年代のベトナムのような国が生まれるのかもしれません。しかし現在の日越関係、米越関係を見ればわかるように、韓半島統一国家が未来永劫、敵対国家であるかといえばそうとは限らないと思います。

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