January 31, 2016

最近また出店を再開したAEONグループのミニストップはサイゴンで勝ち残れるのか?

以前はTung Nguyenグループと合弁をしながら、合弁解消したミニストップが出店を再開し始めたのでブイビエン店に行ってきました。 ミニストップはAEONグループなのでトップバリューを始めとする日本製商品があるのが便利です。ABCベーカリーだけではなくPBのパンがあるのもOK。その他の商品はサークルKと商品が被っているので多分同じ卸会社が入っているのだと思います。 サークルKをじっくり見ているとわかるのですが、ベトナム人がイートインでよく頼むのはインスタントラーメンをお湯で戻し、焼きそば風に味付けをしたMi Xaoです。こんなチープなものは日本人的な感覚では頼みませんが、ごく一般的なベトナム人が小腹を満たすのに最適なのがMi Xaoなのだと思います。サイゴンのコンビニで一番よく来店しているのはこういう顧客層ですが、ミニストップは少し上の層を狙っているのかなと感じました。 全体的に商品価格がベトナム人にはごくわずかに高めであり、すでにコンビニ激戦区のサイゴンで勝ち残っていくのは容易ではないと思いますが、独自性を出して頑張って欲しいです。

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テトをベトナムで過ごす外国人のためのおすすめイベント:Staying in Vietnam for Tet? Here are our recommendations for expats

情報源: Staying in Vietnam for Tet? Here are our recommendations for expats カイベー=ヴィンロンのメコン日帰りツアー うーむ、10日もあるテト休みに日帰りツアーでは間が持たないのでは? サイゴン現地ガイドとの半日ツアー タオダン公園をサイゴン現地のツアーガイドと花を見て回る・・・ちょっと歩いて自分で見てくればタダです。 ベトナム伝統食ツアー 10名以上の希望があればツアーとなるようです。 結論 テト期間中にサイゴン(ベトナム)にいるとほぼ間違いなく難民となります。店は閉まり、行くところもなく、やることもない、こういう状態が10日ほど続きます。10日間、誰にも会わず読書とネットサーフィンをして過ごすことができる人は問題ありません。(ちなみに私はそれでもOKです。)テトはベトナム人にとって家族とゆっくり過ごすための期間であって、外国人が楽しむ何かがあるわけではありません。長期間こちらに住んでいる日本人はバンコクかシンガポール、カンボジアあたりに旅行するか、日本に帰るのが通常です。私は今年はベトナム国内を旅行します。この時期にベトナム国内を移動するのは勇気がいるのですが。  

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テトの長期休暇を前に旅行用品をパッキングした

ベトナム年間最大のイベントテトが近づいてきました。皆さんはテトをどのように過ごす予定でしょうか?私は今年はベトナム国内を旅行する予定です。行き先はまだ秘密ですが、ベトナム国内でも田舎に行くと全く英語は通じなくなるので、バンコクやプノンペンを旅行するよりもハードな旅が予想されます。 10日ほど前からチェックリストを作って準備してきましたが、ほぼ荷物が揃ったので荷造りをしてみました。 衣装 スポーツシューズ 下着×3 シャツ×3 サングラス レインウェア 手袋 タオル 靴下 草履 ジャージ 情報 iPhone iPhoneケーブル USBチャージャー カメラ カメラバッテリー GoPro GoProバッテリー Go Proマウント(長) Go Proマウント(クリップ)

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ベトナム日系社会のルーツは娼婦であるからゆきさんであった?

まずこの統計を見てください。1898年のサイゴンの国別居住者の人口です。当時はフランスの植民地でしたからフランス人が2,323人と西洋人の中で一番多く、アジア人では安南人(ベトナム北中部)16,497人、中国人13,113人が目立ちます。当時、サイゴンの米市場を支配していたのは中国人でしたから、中国人の数が多いこともうなづけます。 日本人は98名、そのうち男性が32名、女性が51名、子供が15名となっています。女性の比率が多いと思いませんか? 実はその多くが「からゆきさん」だったのです。 からゆきさんとは Wikipediaによると からゆきさん(唐行きさん)とは、19世紀後半に、東アジア・東南アジアに渡って、娼婦として働いた日本人女性のことである。長崎県島原半島・熊本県天草諸島出身の女性が多く、その海外渡航には斡旋業者(女衒)が介在していた。「唐」は、漠然と「外国」を指す言葉である。 とあります。当時、島原・天草地方は大変貧しく、女衒が地方を回って漁村の娘たちに海外渡航を勧めたのです。 当時のサイゴンの絵葉書に載ったからゆきさんたち ベトナム日系社会の礎となった お金のためとはいえ、故郷を遠く離れて娼婦となった彼女たちの辛さや悲しさは想像を絶します。からゆきさんの中にはお金を貯めて旅館を経営したり飲食店を開く者もいたようです。またからゆきさんたちを目当てに日本の物産を販売したり、着物を販売する者たちも当地を訪問したり、在住する者もいました。 サイゴン陥落までベトナムの日系経済界では大南公司という会社が隆盛を誇っていました。その創業者の松下光廣もからゆきさんであった叔母がハイフォンに開業していた旅館を訪ねてベトナムにやってきたのです。今となっては歴史に埋もれてしまいましたが、100年以上も前にこの地に住んでいたからゆきさんたちに思いをはせると切ない気持ちがします。

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ダラットのマダム・ヌーの別荘を訪ねて

昨年4月、ダラットに出張で出かけた際に時間を見つけてマダム・ヌーの別荘を訪ねてきました。長らく写真を撮っただけで放置していたのですが、撮影した写真とともに記事を掲載します。 マダム・ヌーとは Wikipediaによると「マダム・ゴ・ディン・ヌー(Madame Ngo Dinh Nhu、1924年4月15日 – 2011年4月24日)は、南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領の実弟である大統領顧問ゴ・ディン・ヌーの妻。本名はチャン・レ・スアン(Trần Lệ Xuân、陳麗春)」とあります。 1960年代初頭、アメリカは北ベトナムに対抗するために南ベトナム政府樹立に暗躍しました。初代大統領に選ばれたのがゴ・ディン・ジエム(Ngô Ðình Diệm)でその実弟ゴ・ディン・ヌー(Ngô Ðình Nhu)の妻がマダム・ヌーでした。大統領のジエムが生涯独身であったため、マダム・ヌーが実質的にファーストレディーを務めたのです。 アメリカの力を背景に大統領になったゴ・ディン・ジエムですが、次第にケネディ政権に対して反抗的な政権運営を行うようになってきました。当時、政権に弾圧されていた仏教徒が焼身自殺をした際、マダム・ヌーは「アメリカから輸入したガソリンで焼身自殺するなんて矛盾しているわ。単なるバーベキューよ」と発言したことがアメリカの逆鱗に触れたのです。 1963年ゴ・ディン・ジエムとゴ・ディン・ヌーはクーデターのため殺害されます。クーデーターを指揮したのはゴ・ディン・ジエムを嫌ったCIAによるものだと言われています。当時、海外に滞在していたマダム・ヌーはそのまま国外追放となり、2011年イタリア・ローマの病院で死去しました。 ダラットのマダム・ヌーの別荘 マダム・ヌーの父親は弁護士でアメリカ大使を務めた人物です。この別荘はもともと父親が居住用に建てたものを建増ししていったもので、合計3つの別荘が敷地内にあります。広大な敷地に当時としては豪華な設備だったのですが、現ベトナム政府にとって好ましからざる人物の遺構ですから長年放置されて荒れ放題になっていました。最近になって修復が進み、一般にも公開されるようになったのですが、ここを訪れる人は稀なようで、日本人が来たというとわざわざ学芸員の方が出てきて邸内を案内してくれました。 別荘の入り口から撮影。丘を利用して別荘が建てられています。 Jade Palace(水晶宮)と名付けられた別荘のエントランス マダム・ヌーとその家族の写真が掲げられています。当時のタイムやニューズウィークの表紙を飾る程、マダム・ヌーとその娘はセレブとして世界中の注目の的でした。 面白いものを見つけました。当時北ベトナム政府内務省に勤務していたボー・グェン・ザップ(後の北ベトナム軍大将)がマダム・ヌーの夫ゴ・ディン・ヌーに対して国立図書館の勤務を任命した証書です。両者ともベトナム近現代史では歴史的な人物ですがこんなところに接点があったとは感慨深いです。 中庭から別荘を望む。

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[今日コレ聴いた] ライフイズビューティフルのオペラハウスのシーンで出てくる曲はこれ:Barcarolle – Anna Netrebko & Elina Garanca – Offenbach Barcarola – YouTube

グイドがオペラハウスの1階から2階に座った「お姫様」を振り向かせようと悪戦苦闘するシーンで流れているのがこの曲。コミカルなシーンと幻想的な曲がミスマッチで、映画全編に流れる「未来への不安」をよく表現していました。 ライフイズビューティフルのシーンはこれ: この音楽はナチの収容所シーンでも使われています。

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