ハノイ旧市街を描いたイラスト集「Phố Cổ Hà Nội」
ハノイ旧市街を描いたイラスト集「Phố Cổ Hà Nội」を入手しました。FAHASAで約300,000VNDとベトナムの書籍の値段としては少々お高いですが、ハードカバーで232ページあり、数多くのイラストが収められています。
ハノイ旧市街を描いたイラスト集「Phố Cổ Hà Nội」を入手しました。FAHASAで約300,000VNDとベトナムの書籍の値段としては少々お高いですが、ハードカバーで232ページあり、数多くのイラストが収められています。
ベトナムを舞台に優柔不断でいい加減な男とその男を恋焦がれるバカ女の悲劇的な愛憎劇。この小説にどのような価値があるのか理解不明ですが、ぜひ女性読者の感想を聞いてみたいものです。
本書は2020年3月、留学中のロンドンからベトナムに帰国した、一人の青年の隔離生活の日記です。ホーチミン市12区の隔離施設(Trường Quân Sự Quân Khu 7)での約2週間の生活を、イラストと文章を交えて描いたものです。
ベトナムに住んでいても毎日のように聞こえてくる豊洲市場の空洞問題や東京オリンピックの予算超過問題。いずれの問題も優秀な官僚たちが「自己の」責任を全うしようとするあまり、全体の成否に対して責任を持つ人なり組織が不在だということ、ルールのためのルール、木を見て森を見ずといったことが横行する社会で、蓋を開ければとんでもない結果に。しかも権力の中枢はお神輿に担がれた者ばかりで全くの無責任状態。大本営と同じ構造が跋扈しているのが現代の日本社会です。 個人的な想像ですが、リーダーが不在もしくは無責任という体制は天皇制に起源があるのではないかと思っています。総理大臣は国家権力の中枢ですが、形式的であれ天皇から拝命した任務です。中国やベトナムの権力闘争は相手を抹殺することで得られた権力であり、絶大な権力と責任が発生しますが、日本で東京オリンピックの予算が大幅に超過したからといって天皇陛下が責任を取るということは絶対にあり得ません。ちょうど玉ねぎの皮のように、責任の主体を求めて皮を剥けば剥くほど中心には何もないというのが日本の現状です。 ただしそれはそんなに悪いことでもなくて、日本は集団指導体制なのですから、どのようにして集団指導を効果的、効率的にやれば良いのかを制度として考えれば良いのだと思います。日本には共産党やアメリカ大統領のような絶大な権力を持ったリーダーシップは向きません。
http://www.asahi.com/articles/ASJB3660JJB3UCVL024.html こうなることはAmazonも分かっていたのではないでしょうか?仕切り直して来ることを希望します。
Amazon kindleで「ルポ ニッポン絶望工場」(出井 康博著)を読了しました。新刊本がネットですぐに読めるとは便利な時代になったものです。本書はAmazonでも高評価を得てベストセラーになっているようです。 ベトナムに在留していると身近に人材関係の仕事や日本語関係の仕事をしている人も多く、ブログでこういう記事を書けばそういう方々から敬遠されるかもしれませんが、ベトナム在留邦人として日々感じていることを書いて一石を投じてみたいと思います。 [kleo_gap size=”24px” class=”” id=””] 留学生や研修生の名目で来日するベトナム人が急増している 現在、留学生や研修生の名目で来日し、日本で単純労働に従事する外国人が急増しています。中でも2010年以降、アジア人の増加は目覚ましいものがあり、ベトナム人だけで現在14万7000人、その他、ネパール、ミャンマー、カンボジアなどアジアの国々からの労働者も増えています。 もちろん日本政府は海外からの単純労働移民を認めているわけではないので、彼らの多くは留学生や研修生として来日します。週28時間以内という実質的に守られていない法規制をかいくぐり、労働力が不足している農漁村、コンビニ、工場、夜間勤務、配達など日本の若者が敬遠する仕事に従事しています。これに伴いベトナム人による窃盗や傷害などの事件も増加しています。 出稼ぎのために単純労働として来日する”留学生・研修生” ベトナム人 留学生といえば優雅に聞こえますが、実態は単純労働者です。ベトナムの貧しい農漁村で育った若者を、「日本に行けば学校や会社で学びながら、お金を稼ぐことができる」と勧誘し、日本に送り込む「送り出し業者」がいます。送り出し業者は日本人であったりベトナム人であったりしますが、日本側には「受け入れ業者」がいて、研修生であれば工場へ、留学生であれば日本語学校や専門学校に送り込みます。しかもこれらの受け入れ事業は国の監督下にあります。 もし彼らが国費や私費による真の留学生であれば問題はないのですが、実態はベトナムでも中下層の若者たちで、ほとんどまともな高等教育を受けず、あいさつ程度の日本語しか出来ないレベルの若者が来日しています。その目的は日本で学ぶためではなく、金を稼ぐためです。 留学生ビジネス・研修生ビジネスは生活保護者を食い物にする貧困ビジネスと同じ構造 更に問題を悲惨にしているのは留学生や研修生を送り込む「業者」が中間搾取をしていることです。 留学生は日本に留学するために150万円近い金を業者に支払って来日します。ベトナムの150万円というと日本の700万円〜800万円に相当する金額です。実家の田畑を抵当に入れて借金し、来日している者が大多数です。 そのためいったん日本に来てしまうと辛いからといって逃げ帰る訳にはいきません。とたんに実家が破産してしまうからです。ベトナムでの破産は日本の破産とは訳が違います。破産をすると実刑を受けて刑務所に行かなければなりません。家族思いのベトナム人にとって親が刑務所に行かなければならないような状況は絶対に受け入れられません。 さらに日本に来てからも寮費や光熱水費、アルバイト紹介料、会社紹介料などの名目で中間業者から搾取され、日本人なら手取り16〜7万円のところが10万程度にしかならないのです。彼らは借金は返済しなければならない、月々の支払いからは差し引かれる、最底辺の生活をしながら法律違反だとは知りつつ寝る間も惜しんで2つも3つも仕事を掛け持ちしていなければならないという状況に追いやられています。 よく「ベトナム人は勤勉だ」などと言われますが、ベトナム人が特に勤勉なわけではありません。その裏にはにっちもさっちもいかない状況の中で必死になって稼がなければならないという状況があるのです。 このような底辺の弱者から搾取するビジネス構造は生活保護者を対象にした貧困ビジネスとまさに同じ構造です。 聞いて呆れるクールジャパン・おもてなしの国 日本政府は「クールジャパン」「おもてなし」などのスローガンのもとに来日外国人を増やそうとしています。またそのための助成策や広報なども急増しています。ホーチミン市でも年に何度か日本文化や日本食を紹介するイベントやプロモーションが行われており、その多くは日本国民の税金を使って行われています。また最近YouTubeなどで「日本はこんなにすごい国だ」と発信するネット右翼系の情報が溢れかえっています。 日本政府が日本の文化や食をプロモーションすることは全く問題ありません。日本の魅力をもっと多くの海外の人々に知ってもらうことも大事でしょう。しかし足元で臭いものには蓋をしながらこのようなプロモーションを行っているのであれば本末転倒です。来日したベトナム人労働者は、夢を抱いて日本に来たにもかかわらず、現実を知って失望し、やがて反日になって帰っていきます。 [kleo_gap size=”24px” class=”” id=””] 公園でポケモンに興じる若者たち。日本の若者と大差ない普通のホーチミンっ子である 過去の栄光を懐かしむ時代は終わった 1980年代に海外に生活していた自分としては、当時の日本はまさに「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代で、文化的にも経済的にも世界から羨望の的でした。しかし現在の日本人の反応は、日本が一流国から二流国へ転落したことへの焦りと自己欺瞞によるものでしかないように思えます。中国の経済発展や冷戦後の構造変化などにより、日本の相対的な国力が下がってしまったのだという事実を受け入れないと、国はおかしな方向に向かってしまいます。なぜ日本人が日本のことを自己自賛しなければならないのかといえば、それは自分自身が「もはや一流ではなくなった」という受け入れがたい事実を受け入れられないからです。 人間でも現実の自己を受け入れずに理想に走ると自己欺瞞になり、最終的には神経症になってしまいます。 「俺は彼らが言うほどそんなに大した人間じゃないんだ」ということを受け入れた上で、真の自信を取り戻すための具体的な活動に邁進するしか日本が生き残る道はないのではないでしょうか。またそのためには他者から学ぶ態度も必要です。ベトナムからも学ぶべきことはたくさんあります。 悪いのは中間業者による搾取だけではない ここまで中間業者や日本政府の問題について書いてきましたが、本書にも書かれていない問題点をさらに指摘すると、中間業者や日本政府以外にも問題があります。 ベトナムは長く植民地下にあり、長い戦争を経てようやく独立を勝ち取りました。しかしそれは南北ベトナムの同一民族による戦いという悲惨な歴史を経て実現されたものです。また経済的な自由化は進んだとは言え、いまだ共産党一党国家です。 このような国情の中、経済力=金がモノを言う社会になってしまいました。先にも書きましたが、ホーチミンやハノイであれば日本の生活と大差ありません。むしろ物価が安い分、日本よりも暮らしやすいでしょう。 しかし地方に行けばまだまだ貧しい農村、漁村が中心の国です。地方に生まれた若者は、日本の東京格差など比較にならないほど貧しい生活を送っています。そんな何も知らない若者に外国(=日本)に行って学びながら金が稼げるというのは夢のような話ですが、現実はそんなに甘くありません。 よく実態を勉強しないで安易に日本に来ようとする若者たちにも責任の一端はあります。金のことばかり考えて、どのような人間、社会人になりたいのかという信念を持った若者が少なすぎます。またこのような悲惨な状況に対して支援を行ったり、適正な規制や啓蒙活動をしないベトナム政府も問題があります。 私はベトナム人の若者にはぜひベトナムのために努力をして欲しいと思います。ベトナムが援助に頼らなくても世界に対して貢献できる国になって初めて真の独立を勝ち取ることが出来るのであると思います。 本当に尊敬されたいなら、尊敬することが必要 多くの日本人はベトナム人をはじめとして、中国人、韓国人などを自分より劣った国民であると考えて差別をしています。自分たちが経済的に劣っている間は彼らもそのことを受け入れて、援助や差別に甘んじるでしょう。しかしやがて国力がつき、日本なしでもやっていけるとなった時に本当に日本は世界から尊敬される国であり続けるでしょうか? 本当に尊敬されたいなら相手の悪いところではなく良い部分、勝っている部分をじっくり見て研究することが必要です。会社でも社長や上司が競合会社の悪口を言っているような会社はだめです。競争相手が自分たちより勝っているところを受け入れて、はじめて相手に対する尊敬と自分達もやってやろうという意欲が生まれてくるものです。 わたしは本当に幸せならあえて他者から評価される必要などないと考えていますが、武士の国の子孫として情けは人のためならずを実践していくことが大切だと思います。他者の評価よりも行動を通じて自己に対する自信を高めていくことが重要なのではないかと思います。
今日からこれを読みます。Start reading a documentary of Asian immigrants labor force i Japan.
モーム短編集「雨」を読了。小説に書かれているのはちょうど大正から昭和に移行しようとする時代、南洋植民地を舞台にした短編を集めたものです。学生時代に読んだことを記憶していますが、遠い日本で読むのと違って、旧植民地で読むと小説の空気感が肌感覚で感じることができます。収録されている3本の小説のうち「東洋航路」が一番好きです。ともすると救いのない南洋生活の中に、一片の光が与えられて爽やかな感動が感じられる話です。Kindle Unlimitedで無料で読めます。
残念ながら読書をしていて気になった点や良いなと思ったところ電子書籍上で赤線をひくことはできませんが、テキストファイルに落とすことは出来ます。これまでiBookで電子本を本でいた時はスクリーンショットを撮って、OCRでテキスト化をしていたのでkindleになって格段に便利になりました。 Kindleで読書中に良いなと思った部分はハイライト表示させることが出来ます。ハイライトした部分はKindle本体にテキストファイルとして保存されるので後で簡単に利用することが可能です。 KindleをUSBケーブルでMacに接続するとUSBドライブモードになります。ファインダー上のKindleアイコンをダブルクリックするとドライブの中を見ることが出来ます。 documentsフォルダないのMy Clilppings.txtがハイライトしたテキストファイル。ダブルクリックするとテキストエディタで開くことができます。 あとはDay Oneにコピー&ペーストするだけ。タグをつけておけば後からお気に入りのフレーズを読み返すことが出来ます。便利。
中学校で読んで以来、数十年ぶりに読み返しました。これまでの人生を振り返ると、幼い頃、ストリックランドの生き方に共感したことが現在の自分に影響していると思います。今の日本にこういう人間が近くにいると「空気が読めない」人間として疎外されるに違いありませんが、芸術のために孤高を貫いた人生は生きるに値すると考えます。
先週、Kindleを手に入れてからは毎日読書三昧なのですが、ここ数日、テキスト選択をしようとすると画面が固まってしまい、うんともすんとも動かないという状態が発生していました。 もしやと思い、再起動をしてみたらあっさり解決。 再起動は「電源ボタンを7秒以上長押し」するとボタンが表示されます。 最近はどこに行くにもズボンの後ろポケットにKindleを入れて時間があれば本を読んでいます。なんか十代の頃、読書に熱中していた頃に戻ったようでこれひとつで良い買い物をしたと思っています。
これまで谷崎潤一郎の「鍵」を読んだのは、文庫本で10代の頃に1回、30代の頃に初版本で数回、そして今回の青空文庫で1回です。鍵の初版本は本当に素晴らしい意匠で、棟方志功の木版画でデザインされた表紙と挿絵は手にとるだけで惚れ惚れするデザインでした。これを機に神田の古書店で谷崎の初版本を買い漁りましたが、ベトナムに移住する際にすべて手放してしましました。今回、谷崎没後50年を経て「鍵」が青空文庫に掲載されましたのであらためて読み返しました。 谷崎文学の一番の素晴らしさはなんといってもその言い回しと語り口です。上質な講談や寄席を聴いているような軽妙で美しい日本語の節回しが読んでいて心地よくなります。谷崎こそが最後の美しい日本語の語り部であったと今でも信じています。 「鍵」もご多分に漏れず谷崎調であり、ほぼ全文漢字とカタカナという現代人にとっては非常に読みづらい文章であるにも関わらず、ぐいぐいと語りに引きこまれるのですが、物語そのものはこれがポルノ小説なのか芸術なのか自分には判断がつきません。夫が妻の、妻が夫の日記を盗み読みしながらお互いに心理的な駆け引きをするような家庭生活を送らなければならないのなら、こんな面倒くさい、気疲れする生活は自分には務まりそうにありません。小説はあくまでもファンタジーですが、谷崎潤一郎というある面どうしょうもない作家の妄想が晩年になって噴出したのではないかと思います。 記憶が曖昧なのですが谷崎は、歳をとって良かったと思うことは若い娘といちゃついても若い時ほど警戒されなくなったことだと語っていたと思いますが、おそらく晩年は若い女のことしか考えていなかったのではないでしょうか?死の直前、病床で松子夫人に対して「まだ死にたくはない」と涙したと言われています。なんとも大文豪にあるまじき女々しさというか往生際のわるさというか、人間的に欠陥の多かった作家であると思っているだけに親しみが持てます。 鍵はこれまで5回映画化されています。なんといっても妻の郁子役を誰が主演するのかが注目ですが、頭の中では若尾文子が主演していたと勘違いをしていました。 市川崑監督版、京マチ子、中村雁治郎、仲代達矢、北林谷栄出演(1960年カンヌ国際映画祭 審査員賞) 神代辰巳監督版(1974年) 若松孝二監督版、松尾嘉代、岡田真澄 池田敏春監督版(1997年) 川島なお美主演、柄本明共演 ティント・ブラス監督版 青空文庫から無料で読むことが出来ますが、ぜひ縦書きで読んで下さい。
Kindle Unlimitedとは 日本では2016年8月からスタートした月額固定読み放題サービスです。月額980円でKindle Unlimitedに登録された書籍、写真集などが読み放題。一度に10冊までダウンロード可能です。デジタル化が進んだ今でも書籍コンテンツは安くはなく、海外在留者からするとKindle Unlimitedは魅力的なサービスです。 1ヶ月無料サービスを利用してみた Kindle Unlimitedは1ヶ月間無料で試用できます。期間内であれば一度に最大10冊の書籍がダウンロードできます。つまり月額定額の貸本屋のようなもので、一度に借りることができる本が10冊ということです。 読み終わって返却(端末から削除)すると新たに本をダウンロードすることができます。 まだ読みたい本がラインナップされていないが気軽に読書体験できるのはメリット 現在読みたいのは主にマーケティングの専門書や実用書の類が主なのですが、残念ながらKindle Unlimitedではあまり多くの専門書や実用書はラインナップされていないようです。それでもこれまで買ってまで読むのは躊躇された本や雑誌を気軽にダウンロードできるのは利点です。 試しにデジタルカメラマガジンの9月号をダウンロードしてみました。書籍版は1080円、Kindle版は756円、そしてKindle Unlimitedでは読み放題です。 日本のエスクローサービスを頼むほどではないですし、毎月750円近いお金をかけるのも高額ですが、Kindle Unlimitedなら気楽に読めます。 ただ、やはりそれなりのお金を払って購入したものではないので、いわゆるフリーペーパーのような感じになってありがたみが薄れるのも事実です。 まとめ 数年前まで本が読みたければ日本から来る人に頼んで買ってきてもらったことを考えると隔世の感があります。ますます便利になって海外生活と日本での生活の差がなくなりつつあります。
青空文庫で谷崎潤一郎の吉野葛が公開されたので早速読みました。 吉野葛は主人公の私と学友の津村が吉野を訪ね、津村は幼い頃に亡くした母の思い出を探しに、私は後南朝自天王の物語を書くための取材に出向くという話です。この中編には3つの旅が重なっており、母のルーツを探ろうとする津村の旅、吉野の伝説的な歴史を探ろうする私の旅、そして文字通り吉野の源流に向かって旅する二人の旅が描かれています。全編を通して感じられる郷愁感や切なさは幼くして失った母に対する思慕はもちろんのこと、谷崎が感じていた失われた日本への郷愁でもあります。吉野葛は1931年、谷崎が45歳の時の作品です。もともと日本橋生まれの生粋の江戸っ子であった谷崎が、関東大震災を機に東京に見切りをつけて関西に移住をしたのは、震災後の東京には谷崎が愛した江戸の姿が失われてしまったからでした。谷崎の母である関は当時の浮世絵にも取り上げられた美人で、谷崎は母をテーマに母を恋ふる記、少将滋幹の母などの作品を残しています。谷崎潤一郎の作品では女性が重要なパートを占めており、それは私生活においても同様でした。吉野葛は女、歴史、旅という3つのテーマを内在したロードムービー小説であると考えています。
ファンテイエット2日目。観光地ながら旧市街は新年2日とあって店もほとんど開いておらず、ほぼ1日ホテルで過ごしました。午後読んだのが織田作之助のわが町。いきなりフィリピンのベンゲット道路工事の話で面食らいますが、ストーリーの大半は大阪の河童(がたろ)横丁とその住民の3代に渡る物語です。30歳前後の若い作之助がこれだけの物語を作り上げることができたと言うのは、全く天才だとしか言いようがありません。主人公の佐渡島他吉は一本気な男で情に厚く、周囲の迷惑を顧見るということのない男です。作品の中では人間の命が大変軽く扱われており、ベンゲットの工事現場では数百人の命が一瞬にして失われてしまいます。他吉の家族も同様で皆呆気ないほど不幸な結末を迎えます。失われていく命の対比にあるのが、残された命に対する他吉の情と愛おしさであり、周囲をトラブルに巻き込みながらも時代が進み結末に突き進んでいきます。明治、大正、昭和と50年の物語をこれだけコンパクトな作品に詰め込んでいるのでどんどん時代が展開していきますが、お国の為にと命を捧げることを強いてきた当時の国家に対する批判も感じ取れます。一気に読み上げた後、YouTubeで同名の映画がアップされていたのでこちらも観ました。映画は1956年の作品、南田洋子の初々しい姿見ることができます。時代設定は監督の川島雄三によって変更されており明治から太平洋戦争後までの話となっていますが、登場する女性たちの服装が着物から洋服に変わっていくことで他吉の老いが上手く表現されています。川島と織田は戦前、日本軽佻派を名乗り暗い世相を皮肉った同志ですがいずれも夭逝しています。短い人生の中で燃焼していったこの2人の熱い情熱を感じる作品であり、今となっては失われてしまった日本の庶民的姿を思い浮かべることができる作品でもあります。原作も映画も勧めます。
織田作之助は大正2年生まれ、昭和22年に33歳で結核で亡くなるまで約12年間にわたって著作活動を続けました。青空文庫に登録されているだけでも70冊もあり、亡くなるまでの12年間に膨大な数を書いたことがわかります。多作であるにもかかわらず駄作は少なく、代表作の夫婦善哉を始め、小説もエッセイも読んで気持ちがスッとする明晰な文章が多い作家です。本人は十分な能力も学力もあったにもかかわらず、学業生活に落ちこぼれ、金銭関係や女性関係に恵まれず、無頼な人生を送りました。夫婦善哉を読んでみればすぐにわかりますが、まず一番の魅力はその語りの力です。まるで講談のように物語にグイグイ引き込まれていって、あたかも自分が昭和初期の大阪の下町に生きているような錯覚に陥ります。このような語りの力は谷崎潤一郎の作品にも見られるのですが、西洋文学が日本に輸入される前から日本人が伝統的に持っていた呼吸と語りの力を体現しているのではないかと思います。本人は不摂生で無頼な生活を送っているにも関わらず、夫婦善哉の全体を通して流れているのは夫婦の愛情という普遍的なテーマであり、読者を自然にほのぼのとした気持ちにさせてくれます。この普遍性が繰り返し演劇や映画、テレビドラマで夫婦善哉が取り上げられる理由なのでしょう。また庶民の心をつかむ大衆文学であるにも関わらず大衆迎合でない点も見逃せません。ごく一般的なテーマに根ざしつつその底辺を流れている愛という文芸性・芸術性が夫婦善哉を文学の金字塔とさせている理由であると思います。 青空文庫 夫婦善哉(織田作之助)
中学1年か2年の頃に読んだきりなので数十年ぶりに読みました。 「君」が「私」の元を訪ねてきてスケッチブックを置くシーンは、長い間、何の小説だったか忘れていました。極寒の北海道の冬にムンムンとするような若者の湯気を感じたことを記憶の底に覚えていただけですが、今回、この小説だったかと思い出されました。 過去よりも将来が短い状況に置かれると、若い頃の将来に対する悩みや苦悩はほろ苦い思い出になってしまうのですが、今となれば思い悩む君に北海道で漁師をやりながら絵を描き続けることを暗に進めた「私」の思いに納得がいきます。おそらく「君」は東京に出ていたならモノにはならなかったと思いますが、北海道で漁師を続けたからこそモノになったのです。 この小説にはモデルが存在しており、おそらく小説のシーンに似たやり取りが「君」と有島の間にあったのだと思われます。
今年からパブリックドメインに移行した江戸川乱歩作品ですが、青空文庫での第一弾「二銭銅貨(にせんどうか)」を読了しました。実質的に江戸川乱歩の処女作というべき作品で、大正12年に発表されました。 小学生5年生頃に明智小五郎に熱中したのを思い出します。大人になって読むと江戸川乱歩の文章はモダンで洒脱、大正モダンの匂いがします。 今後、江戸川作品が青空文庫化されるのが楽しみです。 松本清張はこの小説について、次のように述べている。 「発表された彼の処女作ともいうべき『二錢銅貨』は、『あの泥棒が羨ましい。二人のあいだにこんな言葉がかわされるほど、そのころは窮迫していた』という書き出しに始まる。私は初めて『二錢銅貨』を読んだとき、この書き出しの素晴らしさに惹かれたものだった。この一行の文章の中に、これから起る事件を読者に予想させ、しかも、端的に現在の状況を説明している。小説の冒頭の巧みさは、このようなものでなければならない。よく引例される志賀直哉の短篇の冒頭にも匹敵するであろう」 大正モボ・モガのイメージ
谷崎潤一郎の作品が青空文庫に登場しましたので早速、春琴抄を読みました。 谷崎は全集に掲載されている作品はすべて何度か繰り返して読みましたが、独特の言い回し節回しが特徴であり、謡曲や講談のような日本人独特の呼吸法が求められます。 以下は「春琴抄」のある一節です。 先代大隅太夫は修業時代には一見牛のように鈍重で「のろま」と呼ばれていたが彼の師匠は有名な豊沢団平俗に「大団平」と云われる近代の三味線の巨匠であったある時蒸し暑い真夏の夜にこの大隅が師匠の家で木下蔭挟合戦の「壬生村」を稽古してもらっていると「守り袋は遺品ぞと」というくだりがどうしても巧く語れない遣り直し遣り直して何遍繰り返してもよいと云ってくれない師匠団平は蚊帳を吊って中に這入って聴いている大隅は蚊に血を吸われつつ百遍、二百遍、三百遍と際限もなく繰り返しているうちに早や夏の夜の明け易くあたりが白み初めて来て師匠もいつかくたびれたのであろう寝入ってしまったようであるそれでも「よし」と云ってくれないうちはと「のろま」の特色を発揮してどこまでも一生懸命根気よく遣り直し遣り直して語っているとやがて「出来た」と蚊帳の中から団平の声、寝入ったように見えた師匠はまんじりともせずに聴いていてくれたのであるおよそかくのごとき逸話は枚挙に遑なくあえて浄瑠璃の太夫や人形使いに限ったことではない生田流の琴や三味線の伝授においても同様であったそれにこの方の師匠は大概盲人の検校であったから不具者の常として片意地な人が多く勢い苛酷に走った傾がないでもあるまい。 これで一行。文字数にして529文字を一気に読み通すだけの肺活量がなければ読めません。 詳しくはありませんが、浄瑠璃や講談のような”ものがたり”の世界に通じる文学であり、織田作之助にも共通して、いずれも関西の古典芸能に根付いたものだと思います。(谷崎は東京市日本橋生まれですが、関西を愛し、人生の大部分を関西で過ごしました) 画像は島津保次郎により春琴抄、お琴と佐助からのキャプチャーで主演は田中絹代です。YouTubeで全編を観ることができます。 https://www.youtube.com/watch?v=3saScuh_zJE
待ち望んでいた谷崎潤一郎の作品が今日から青空文庫で読めるようになりました。第1弾として春琴抄がアップされています。 またその他にも安西冬衛、梅崎春生、江戸川乱歩、大坪砂男、河井酔茗、蔵原伸二郎、式場隆三郎、高見順、谷崎潤一郎、中勘助、森下雨村、山川方夫、米川正夫などそうそうたる名前が並んでいます。 海外生活での読書は電子本が心強い味方です。これから少しずつ楽しんでいきたいと思います。
今年、谷崎潤一郎は没後50年です。青空文庫では続々と谷崎の著作が入力されています。 ベトナムに来る時に泣く泣く手放したのが谷崎潤一郎全集(菊判)全28巻。神田の八木書店に引き取ってもらいました。 来年からは思う存分電子本として読むことができると思えば、2016年が待ち遠しいのです。