es thoroughly maintained and equipped with necessary tools as the road is not yet found on the
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ホーチミンルートとは
ホーチミン・ルート(英語: Ho Chi Minh trail、ベトナム語: Đường Trường Sơn[1])とは、ベトナム戦争時における北(ベトナム民主共和国)から中立国ラオス、カンボジア領内を通り南(ベトナム共和国)に至る南ベトナム解放民族戦線への陸上補給路を指す、Đường Trường Sơn の日本での呼称。 (WikiPedia)
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自由で気ままな旅行を楽しみたい人にとってホーチミンルートをバイクで走破するのは冒険です。道路は舗装されていますが、ヘアピンカーブなど危険な箇所もあります。
より良い旅行を準備するために、よくメンテされたバイクと装備が必要です。道路は観光地図に載っていない箇所があります。
途中、美しい森や山々、多くの少数民族と出会うことができるでしょう。
ハノイからスタートし我々のグループはホーチミンルートをたどってホアビン省、タンホア、ゲアン、ハティン、クアンビン、クアンチしして最後にクァンナム省ホイアンにたどり着きます。
15日間のツーリングの間、多くの有名な戦争証跡や歴史的名所を訪ねました。ハティン省のドンロックはTジャンクションと呼ばれ、北から南に向かって弾薬や装備品を補給する重要な拠点でしたが、1968年7月24日に10名の若い命が失われたことでも有名です。
クァンチ省のチュンソン墓地やベンハイ川のヒエンルン橋にも立ち寄りました。ここは1954年のジュネーブ協定で南北に分断された場所です。16から17世紀にかけて築かれたクアンチ城砦やUNESCOによって認証されているホアビン省のホー王朝城砦にも立ち寄ります。
またホーチミンルート沿いに生活をする少数民族の困難な生活環境も経験しました。パコ族の子供はチュンソン墓地のチケットを売るために学校を退学せざるをえませんでした。またホアビン省のタイ族の家族はそもそも子供たちを学校にやることさえできませんでした。
これら少数民族は親切でフレンドリーです。彼らは自宅に招きいれてくれ一晩の寝床と食事を与えてくれました。
いつかは行ってみたいホーチミンルート
普段サイゴンに住んでいると東京とあまり変わりのない生活を送ることも可能ですが、ベトナムにはまだまだ秘境と呼べる場所が多く残っています。ホーチミンルートもその一つです。ベトナムで生活しているうちに一度は走破してみたいルートです。