【インド】35年ぶりにインドの母校をアポなし訪問

今回のインド訪問でぜひ訪ねてみたかったのが、35年前に学んだデリー大学でした。

私がこの学校に学んでいた頃は、サウスデリーから毎日2時間、バスを乗り継いで通っていました。当時、始業時間が午前8時だったので、吐く息が白くなるほど冷え込んだデリーの街中を、満員のバスに乗って通ったものです。バスはバス停にきちんと停止しないので、スピードを落としたバスに走っていって飛び乗らなければならないのは35年後の今でも同じでした。現在は大学から15分ほど歩いたところに地下鉄の駅ができたので、随分便利になりました。大学通りは当時とほとんど変わりがありません。道端にたむろする猿は今でも健在でした。

こちらが母校のデリー大学・ヒンドゥーカレッジです。

今回、訪問して知ったのですが、今年創立120周年と伝統のある大学です。デリー大学ではセント・スティフンス・カレッジがトップで、ヒンドゥーカレッジは2番目という評価ですが、両校の卒業者はイギリス・アメリカ・オーストラリアなどに留学する学生も多く、インドのエリート層を生み出しています。

こちらはグラウンドではなく校庭ですが、学生たちがクリケットを楽しんでいました。この姿も全く35年前と変わりがありません。私はあまりクリケットのことは理解していないのですが、投手とバッターがいる点は野球に似ています。しかし1ゲームに数日間もかかったり、途中でティータイムが入ったり長々とやっている印象なので、どこが見応えポイントなのか理解不能です。

校舎が近づくにつれて見慣れた風景に懐かしさがこみ上げてきました。

私がここに在学していたのはジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれた頃です。SONYが初めてのハンディカムを発売し、ホンダがCRXを発売した頃です。時代は変わりましたが、カレッジはほとんど記憶のままの同じ姿で残っていました。あれから何十年も経ったのだということが信じられないくらいです。

こちらは教職員室です。ここも全く変わりません。

インドに到着した翌日、宿からこの部屋に来て、担当教授のインタビューを受けたのがこの部屋でしたが、当時、インド人が話す英語がほとんど理解できず、相手の質問も理解せずに勝手に英語でまくしたてたら合格でした。

教授はカレッジ内には研究室はなく、この部屋がサロンのようになっています。

担当教授のことを尋ねたらもう何年も前に退官し、今はどのように暮らされているのかは分からないとのことでした。当時でもすでに50代だったので、存命でおられれば相当の年齢になっているはずです。

大学の中庭にいた学生たちと会話をしました。

彼らの明るさや真面目さは当時と変わりありません。

女子学生は当時は全員パンジャビドレスでしたが、今ではジーンズにジャケットという女子学生が大半です。当時、女子学生がジーンズを履いていると相当ぶっ飛んだ女性のように考えられていたのが隔世の感です。

校内をうろうろしていたら、教職員に声をかけられ、事情を説明したところ副学長に会わせていただきました。こちらはアポなしなので恐縮していましたが、副学長は在校生が訪ねてくれるのは名誉(honour)だと言われてさらに恐縮してしまいました。

2月15日に120年式典があるから是非来てくれと招待状をいただきましたが、残念ながら参加はできそうにありません。

1時間程度校内を見学して帰途につきました。

こちらはインドで最高峰のセント・スティフンス・カレッジです。ヒンドゥーカレッジとは向かい合っており、お互いにライバル関係にあるので、日本で言えば早慶のようなものでしょうか。

35年という時間をしみじみと味わうという感じではありませんでしたが、思い切って訪ねてみて本当に良かったと思います。インドは大きく発展をしていますが、変わらないインドも体験することができました。

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