人生をネタ切れにしない方法

ロックダウン生活が続く中、ブログは今日で216日、絵日記は49日間続きました。隔離生活が続く中でそろそろネタ切れになりそうで心配かもしれませんが、今日は「ネタ」について書こうと思います。

人は思いついたこと以上のことはできない

あたり前のことですが、人は思いついたこと以上のことはできません。外国に住んでみよう、経営者になってみよう、今日の晩御飯は唐揚げにしよう、なんでも良いのですが、思いついたこと以上のことはできません。

思いつき=「発想力」とも言って良い能力ですが、これが特に発揮されるのは困難な状況に追い込まれた時です。

資金繰りは発想力

私のような零細企業を経営していて、親会社やスポンサーがいるわけでもない場合、常に資金繰りの圧力がかかっています。思ったように売上が上がらなかったり、軽い気持ちで購入したものが後になって痛い出費となったり、資金繰りはいつも頭を悩ませる問題ですが、会社を継続させるためには「入」を増やして「出」を少なくするしかありません。そのためには早めの入金を依頼したり、分割払いや遅延払いの交渉も必要です。それらの「打てる手」が10個しかない経営者と100個ある経営者では経営の余裕が変わってきます。さらに時間的な余裕があれば100個打てる手があったとしても、時間切れギリギリになってしまうとその数は減少してしまいます。早めに余裕のあるうちに手を打っておくことが大切であり、そのためには発想力=打つ手・選択肢が必要です。

ロックダウン生活の中で

このようにロックダウン生活が続き移動の制限がかかる中で、人々の行動や人生は制限がかかり、大きな社会的なストレスとなっています。また多くの人がこれからどうなるのだろうかと不安を感じているに違いありません。
その中で、今の仕事を諦めて帰国する、そのまま踏みとどまる、しばらく静観を続けるなどさまざまな選択肢があると思いますが、結果的にどの方法をとったとしても発想力=柔軟力があれば生き残っていけます。適者生存の力と言っても良いかもしれません。

過去・未来は空想に過ぎない

私も過去を思い出して悔やんだり、将来を考えて不安に思うことはありますが、以前ほどとらわれなくなっています。なぜなら、過去も未来も考えている本人(=私)の頭の中にある空想に過ぎないということを知っているからです。
いくら将来のことを不安に思っても問題が解決するわけではなく、過去を悔やんだからと言って今の生活が良くなるわけではありません。
あるのは「いま」しかなく、われわれはいまここに集中して具体的な行動を起こすことしかできません。

問題と不安を混同しない

その「いま」にはいつも問題があって、どうしようかと思い悩んで不安に思っている人も多いと思います。しかし、落ち着いて考えてみれば、問題は不安のきっかけになることはあっても、不安の原因ではありません。不安を不安としてとらえているのは自分自身の物事の捉え方であり、原因は自分にあるのだということがわかります。問題は単に解決をすれば良い外部的な課題であり、これから起こるかもしれない(空想上の、自分の頭の中の)問題を空想(妄想)して不安を感じているに過ぎません。

あるのは「いま」しかないことに気づく

結局、過去も未来も概念でしかなく、具体的な行動を取れるのは「いま」にしかありません。もちろん、われわれは良い大人ですから、いろんなことを考えた上で行動するわけですが、不安や後悔に突き動かされてしまうと「いま」に集中することはできません。
自分の「いま」を突き詰めていくとそこにあるのは「無」です。「無」はピースフルで問題も不安なく、あらゆる可能性と希望が含まれているものだと思います。

まとめ

ロックダウン生活は行動が制限されている分、色々と思索を思い巡らすには良い機会だと思います。どれくらいこの生活が続くのかわかりませんが、日々、今日が最後の日だと考えてベストな1日を過ごしたいと思います。
今日が最後=死の問題に関してはセネカの死生観などについてもまた別の機会にまとめてみたいと思います。

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