Twitterのタイムラインに流れてきた1957年の2区トゥーティエムの開発計画図です。当時は南ベトナム大統領ゴ・ディン・ジエムの時代ですが、すでに当時からトゥーティエムの都市計画ができていたと知って驚きました。
Plan for urbanisation of Thu Thiem from 1972 by San Francisco-based firm Wurster, Bernardi, & Emmonds pic.twitter.com/Rf5Uv09GuF
— Connla Stokes (@TheComicalHat) August 17, 2017
近藤紘一がサイゴンを訪れた時にマジェスティックの屋上カフェからサイゴン川の対岸を眺めていたという一節がありましたが、当時のサイゴン川向こうはベトコンの支配する地域で、容易に人が近づけない場所だったそうです。事実、対岸からマジェスティックホテルにバズーカ砲が打ち込まれて大破した事件もありました。現在のタントゥアン工業団地のあたりも沼地であり、解放軍が支配する地域だったそうです。
こちらは時代が下って1972年の計画ですが、より精細になっています。比較的小さな民家風の家が多いようにも見えますが、旧市街と結ぶ橋の位置などは現在のものとあまり変わりがないのが興味深いです。
昨年の8月にTuoi Treに掲載された開発状況の写真がこちら。かなり整地が進んで本格的に開発が行われています。9年ほど前、サイゴンに来たばかりの頃にこの辺りに行きましたが、当時は本当に湿地帯の荒地の状態で、ここで都市開発が行われるなど信じられませんでした。
最終的な計画図ではこのような街になるようですが、これだけの高層ビルを作るだけの需要がサイゴンにあるのでしょうか?疑問です。