情報源: How Game Theory Explains Vietnam’s Lack of Queues – Saigoneer
(以下記事)
ベトナムでは銀行や入国管理など一部を除いて列に並ぶことは稀である。
たびたびフラストレーションを感じせるこの問題について、ハーバード大学博士課程のVu Than Chauは興味深い解説を行った。
”列に並ばない、ゴミのポイ捨て、カンニング、バスの中で大声で話す、交通規則を守らないなどはベトナム独自の文化的な現象であると考えられています”
“問題の本質を考えずに文化のせいであるとするのは容易です。また文化的な問題だと片付けてしまうのは、より良くするためにはどうしたらよいのかを考える機会を少なくしてしまいます”
列に並ぶのを嫌がるのは「囚人のジレンマ」に起因しています。
囚人のジレンマ(しゅうじんのジレンマ)とは、ゲーム理論におけるゲームの1つ。お互い協力する方が協力しないよりもよい結果になることが分かっていても、協力しない者が利益を得る状況では互いに協力しなくなる、というジレンマである[1] (WikiPedia)
列に並ぶという課題の場合、最も効率的な方法はルールを守り列に並ぶということですが、ほとんどの者は自分にとって最もメリットのある方法をとり、他者を顧みないという行動を取ってしまいます。さらにその中の一人が列に並ばずに良い目にあったら、誰も列に並ぼうとしなくなります。
それではどうすれば良いのか?Chauは数人の者が自分の利益にこだわらずに規則を守りことにより他者も並ばせることができるといいます。
(以上要訳)
日本人は幼稚園生であっても列に並びます。
もし列に並ばない者がいたら「恥ずかしい奴、非常識な奴」という評価となります。日本人にとって空気が読めない、列を乱すといった行為は、自分たちの属する社会に不適合な人間であるとレッテルを貼ることであり、そのような人間は徹底的に組織から排除されてしまいます。もし自分が東京あたりで列に並ばないという行為を繰り返したら、何の関係もない他人がTwitterなどで報告を始めるでしょう。これらの法律に明文化されていない「規範」は厳しく個人の属する社会の規範を反映します。
ベトナム人が列に並ばないのはゲーム理論の「囚人のジレンマ」であると述べていますが、私の分析は異なります。
ベトナム人は国家や社会に対する帰属意識が低いために、列を守っても守らなくても規範による罰を受けることがありません。彼らが属する社会は家族であり、社会や国家ではないのです。もし「列に並ばなければ勘当する」と親から言われれば全てのベトナム人は列を守るでしょう。
個人は自分が帰属している組織(国家・社会・会社・グループ)における存在意義を守るためには規範を守りますが、帰属意識の低い組織の規範は守りません。同様に会社に対する帰属意識も低いと考えて間違いありません。