大多数の人間は自分が死ぬことを現実の問題として捉えていない。ある日突然、死が現実の問題として目の前に現れると慌てふためくのである。しかしその時ではもう手遅れなのだ。
3人称の死は現実ではない。著名人の死は単なる情報であり1週間もたてば話題にすらならない。問題なのは私とあなたの死であるのに、誰もその現実に向き合おうとしない。人が自分の死について語ることはタブーとされるような風潮さえある。自己の死を考えられないということは想像力の欠如である。
死は生まれた瞬間に始まっている。どんなに溌剌とした生と喜びに満ちた人生を送っているように見えても、必ずその内奥に死は存在している。
そうであれば幸運にも与えられた今日を生き切ることが大切なのである。怠惰と倦怠に埋没している暇などないのである。歩くときは歩くことを全身で感じ、食事をするときは豊かな味と香りを楽しみ、仕事をするときは問題解決に向けて集中すべきである。
そうやってやりきった時間を過ごした後は、疲労と茫然ではなく、深い満足感が得られるであろう。
人生もそのような満足感とともに終えたいものである。