時間は観念的なものに過ぎない。過去も未来も情報でしかなく、現実に存在するのは「いま」だけである。

時間には過去も未来もなく実在するのは現在しかないという考え方は論理的、科学的には誤りであろう。過去は確かに存在し、未来はほぼ確実にやってくる。時は過去から未来へ絶え間なく不可逆的に流れていき止まることを知らない。

しかし時を私レベルで理解しようとすると、生まれてから過ごしてきた幼少青年期はすでに過去の出来事であり、それらは脳内の思い出か、写真・動画・文章などの媒体に記録された情報でしかない。過去の記憶は不連続な断片として記憶されているだけで、過去を系統だって順番に再生することもできない。
同様に未来は100%創造上の産物であって、明日何が起きるのかをあらかじめ完璧に知ることは土台無理な話である。

人は過去を思い出しては悔やみ、将来を考えては不安になる生き物である。過去のことなど後悔しないという人もいないわけではなかろうが、多くの人は多かれ少なかれ過去や未来など時の影響を受けている。

だが、それらは落ち着いて考えてみると単なる脳内の情報に過ぎず、過ぎ去った過去もこれからやってくる未来も実体験することは不可能である。それらは観念的なものに過ぎない。
わたしたちが現実に五感で感じ、行動を選択し、体験できるのは、「いまここ」しかないのである。過去も未来も全て今につながっているのだから、私たちが意識を向けなければならないのは「いまここ」なのである。

そのことを忘れて、過去の後悔に胸を苛まれたり、将来の不安にオロオロすることは愚かなことではないだろうか。