死んだらどうなる?自分って何?解決不能の問題にとらわれるのはやめよう。

この絵は有名なペンローズの階段である。階段を登っているつもりが、永久に上にはいけないという不可能図形である。なぜこんな矛盾した絵が可能かといえば、階段という3次元の物体を紙という2次元上に投影して描いているだけだからである。現実の世界ではあり得ない現象である。

私たちが折に触れて考える問題、例えば死んだらどうなるのか、自分とは何か、といったものはペンローズの階段に似ているのではないだろうか。私たちが自分の生きている世界を認識できるのは3次元に時間を加えた4次元の世界までである。この限られた次元で物事を理解しようとしても自ずと限界があるであろう。

量子力学の世界で提唱されるヒモ理論では、この宇宙は11次元で構成されているという説がある。11次元どころか5次元でさえ直感的に理解できない我々が、この世界を正しく認識することはとうてい不可能であろう。それが理解できるのは世界中でも限られたほんの一握りの数学者だけなのだ。

死んだらどうなるという問題もこれに類似していて、私たちのほとんどは死んだ経験がない。それは1回だけ訪れてそこで終わりである。死んだ本人は自分は死んだのだと認識することさえないだろう。人が死んで直接的な影響があるのは本人ではなく、本人の周囲にいる身近な人だけなのである。死は死者本人にとってみれば全く意味を持たないのだ。

私たちは折に触れて、自分が死んだらどうなるのだろうかという問題に答えを求めようとするが、それは論理的に解決不能の問題である。だから「わからない」というのが常識的な答えである。解決不能の問題にこだわって消耗する暇があれば、それは理解不能と結論づけて、具体的に解決可能な問題に取り組むことの方が賢い生き方である。