死んでしまいたいと思ったら人生の短さについて考えてみよう。少し我慢すればいずれ人は皆、死ぬ。

ある精神科医は自殺は希死念慮と衝動が重なった時に発生しやすいと述べている。自殺をする人はある日突然自殺をしてしまうのではなく、それまでの生活の中でいっそ死んでしまいたいという気持ちが徐々に高まり、飲酒や突発的な精神的打撃により死を実行するのだそうだ。自殺をする人はある種の酩酊状態なのだろう。

本人も冷静になれば本当のところは死んでしまいたいわけではなく、死にたいほど辛い、死にたいほど苦しいのである。だから辛さや苦しさが取り除かれれば死にたいという欲求もなくなる。何年間も毎日、毎時、死にたいという欲望を持ち続けることは不可能だから、どんなに深刻な問題であっても時間がたてば解決するはずである。

動物には生存本能があり自殺をする動物は人間だけであろう。本能が壊れて幻想に生きる人間にしか自殺はできない。だから自死は極めて観念的なものである。すなわちモノの見方や考え方によって自死に至るのだ。

この年になると、人生はいかに短くはかないものなのかを実感できるようになる。日々悩みもがいていた青年時代もつい先日のことのように思い出すことができるが、すでに何十年もたってしまっている。生きるということはそのこと自体が苦しみであり、人は生老病死の宿命から逃れることはできない。

どうせ人は皆、死ぬ。

そうであればいま死ぬ理由もなかろう。ただ今日1日を生きるだけで良い。そしてどうせなら立ち上がってドアを開けて外を歩いてみよう。少しは気が晴れるはずである。そのうち気がつけば問題や悩みも雲散霧消しているかもしれない。